システム開発でほしい、次を見る力

仕事において、チャレンジするということが
あるのが、大事と思います


人間は、あるやり方をひとつ、覚えると
、それを変えるということを、したくなくなるという
習性があるようです。ところが、ひとつのやり方ばかりする
というのは、成長とは相反する、行動ですね


コンピュータシステムを作るという、仕事をしていたら
まず、そのシステムはなんのためにあるのか?という
目的をとらえてるということが、大事です
事務を正確に処理する、人間の負担を減らす、利便性の
向上、書類を作る、情報共有等々、いろいろ
身の回りにある、システムの目的があります


あるシステムが、事務の正確さ、という目的のために
あるのなら、当然ながら、ミスをしないシステム
それは、システム自体もそうですが、ヒューマンインターフェース
として、どうなのか、という観点もあるでしょうし
アウトプットとして、どうなのか?
人の動きをいれた、「システム」として、どうなのか
みていくことが大事でしょう


こんなふうにして、システムを俯瞰することが
できて、はたして、今後システムを再構築するのには
ということを、意識のなかに、おいて、仕事する
ということも大事でしょう


システムで仕事するときには、必ず、リスクもあります
単純にみえる、販売管理のシステムを運用するということにも
たとえば、サーバのデータの保全というリスクは
必ずあるものです


人為的ミス、または故意に行われる、データの破壊
災害、こうしたことを、思うだけでも、バックアップとリストアの
やり方を、確立しておくということが大事です


ある仕事をするということを、つなげて、広げて考えると
必ず、リスクもある、次の段階への課題もあります


システムの仕事に携わるということは、現在進行形で
「次」をいつも考えておくということが大事になります


システム開発の仕事をしていくということは、だれしも
誰かが考えたことを指示をもらって、やるという考えから
脱却し、自分の立場で、考えうる、チャレンジをしてる
ということが、求められるといっていいでしょう

社員がもつべき、6項目の力

自己コントロール 体調の維持、改善を心掛け、滞りない業務の遂行ができた 自分の感情に左右されず、ムラのない態度で仕事ができた ネガティブな感情を持つ業務に対して、やらない理由を作らなかった 自分が良いと感じたことを真似することからでも実践できた

  • for the teamで動ける力

プロジェクトや所属組織のルールを守ることができた (すでにある)協調性を乱さない行動ができた チームメンバーが協調できることを自分から働きかけた 自分の役割、立ち位置で業務を導くことができた

  • 報告力

相手の役割を理解するように努め 求められている情報の報告を心がけた 適切なタイミングで報告するよう努めた 自己保身にとらわれず、事実を報告ができた

  • 目標発見力

自分の仕事を定期的に振り返り分析した あるべき姿を考え、課題として取り組めた 課題を自責で目標にすることができた 上司を利用してプロジェクトや所属組織の現状を把握し、進むべき方向を見定めることができた

 

 

  • 継続学習力

考える時間、調べる時間を作ることができた 得た知識について意見交換をした 強制されなくても、学習を習慣にできた 集中して、学習するサイクルを継続できた

 

  • 意欲喚起力

自分で自分を鼓舞する力

あきらめない、粘り強さをもつ

ハプスブルグ展

600年間にわたり、ヨーロッパのヨーロッパらしい王室、
これぞ、ヨーロッパの支配層の姿、といっていいかなと
思える、絵、甲冑、等々


いつもながら、絵そのものよりも、描かれた人物の
人となり、その存在としてその社会にどう映ったのか
そんなことを、思いながら、展覧会を見てました

「存在感」という意味では、ハプスブルグ家の女王として
圧倒的といっていいものがあったと思う、マリア・テレジア
印象的です

マルティン・ファン・メイテンス(子)《皇妃マリア・テレジアの肖像》1745-50年頃、油彩/カンヴァス

マリー・アントワネットの母、16人もの子供を産み
激動の18世紀を生きたという女性。
解説には、軍隊が弱いというところを、補うために、兵士を養成する学校を
作り、外交がなにより重要ということで、世襲ではなく能力から
人物を抜擢して、その任にあたらせる。

今の時代だったら、やるべきことをやってる、ともいえるけど、18世紀
しがらみ、諸侯の利害のからみあったなかでそれを、やりきる
能力と、エネルギーに、あこがれる

たかだか、ひとつの美術館の美術史という観点から、主にみた
歴史ゆえ、女帝としての政治能力はもっと多面的に解析しなければ
片手落ちかもしれない
けど、この絵に描かれたような、存在感はあって
政略結婚で我が子が、泣くことはあっても、君臨したその存在は
永遠ではないか?


18世紀といえば、フランス革命がおこり、時代は王が統治するという
ことが、不可能な時代へ流れ込んでいた


その後、最後から二人目の皇帝という、フランツ・ヨーゼフ1世の肖像もみた
このいい感じのオヤジの絵をみて思ったのは、ヴィヴィアン・リー主演の
「哀愁」、ワーテルローブリッジにて、結婚相手の家にいき、その
一族を束ねてる、結婚相手のおじいさんのこと。


すべてのことに鷹揚にかまえ、まさに家柄のよさがでてる
しゃべりかた、ものごし、相手に対するまなざし、などなど


そんなふうに思えたけど、ひとめぼれした、奥方にはずっと
甘い、そんな皇帝だったとか・・・


こうして、ヨーロッパのいまはなき、王族のいろいろをみるのは
「今はもうない」ということが、興味と、関心をかきたてるところがある
そして、滅んでいったということが、さらに、気持ちを盛り上げる


美術は、アーティストがパトロンに抱えられて、存在しえたという
ことがあり、そういう存在としての、アーティスト、またアート
そのものの、歴史をひもといてみれば、明らか。


ご存じのように、貴族、王族といったパトロンは、近代化を境に
没落し、ビジネスで成功した、といった新たなパトロン
現れるのだ。


時代は変わり、アートも変わる
ただ、変わらない美しさというのを、知るというのも
やっぱり、「美」そのものを追いかけるのには、ほしいところです

 

意欲喚起力

令和という元号ではじめての、お正月を迎えました
おだやかな天気で、とても、くつろいだ時間のお正月です


ずっと、気にしてる


チームビルディング


人と人のコミュニケーション


傾聴


やりとりで、自分を育てる


学びあう姿勢


こうしたことを、「寺子屋」を理想とする空間で
実践していく、ということ。
学び、成長する人間に必要なんだって、思い。


今年、さらにそのひとつひとつを、充実させたい
キーワードとして、「意欲喚起力」(私の造語ですが)
をあげたい。
自分で自分の意欲を喚起する。


仕事してる人なら、誰しもが、少しはそして、ときどきはやってる
自分の意欲を喚起するということ
これを、発展させ、強力にしていきたい


意識して、このとき、必要となったら、意欲喚起力をだせる
そういう自分になっていく。


なぜ、そんな言葉を、作り、こうして発信しようとしてるか?
若い人をみて、大事なときに、自分のためた力をだす
そういうことがうまくできてない、そんな場面に出くわしたから


「もったいない」
「あ、それじゃ、大事な経験が減ってしまう」
そう心のなかで、叫びながら、当の本人は、どうも自分の意識の
なかに、自分のいまの大切さ、たとえば、タイミングの大切さ
味方がいいサインをだしてくれてる、それをうけとるのかどうか
という大切さ、そして、決めたことをやる、という心を作る
大切さ、その他を、入れられてない


意欲喚起力
自分自身をどう生かして、自分で決めた、目標の努力をはじめる
面倒くさい、とか、その自分で決めた道筋が信じられない
そういった、ネガティブ、弱さといったことに、陥る
そこを、ふみとどまらなければ、自分と向き合うということを
続けなければ、決して超えられない壁、というのがあるのを
見ない


踏みとどまることで、見えてくるものがある
信じられるものが増える


そう思う
事実、そうしてきた


意欲喚起力


努力する、成長するのは自分のため
最終的にはそうだけど、一定の道のりを経るのに
努力続けて、できることがふえれば、たとえば、後輩を
教えるってこともできるね、と、はげまします


最終的には、自分が生きることです
生きる力をふやすことです
そういう人が集まるから、力が生まれるのです

チームを作る

社員と話していて、自分がなにか、行動することで
相手に影響があるというとき、実際そのことを、進めて
だいじょうぶか、といった、配慮について、もっとトレーニン
したいね、という会話になりました


ビジネスで、チームとして仕事するのであれば
指示する人と、受ける人がいて、その関係性が緊密であれば
とても、チームとして成果が期待できます
逆に、関係性が、弱い、パイプが細いとなると
成果は、うまくでないということがあります


お互いが気持ちよく仕事するためには、信頼関係が
大事です。信頼関係を築くというときに、やっぱり
大本になるのは、お互いのこを、知ろうとすること
関心をもって、過ごす時間を増やすということだと
思います


そこまで考えが進むと、信頼関係を築くのに、なにかしようと
まずしてるのか、という心の向き加減ということがでてくると
感じます
そういうところから、傾聴がまず、浮かびますし、相手の性格
また、どういう気持ちで仕事してるかといった、状態の把握
ということが浮かびます


思い出してみると、若いときというのは、自分自身の理解であり
まわりにいる人と、どうしたら、溶け込めるか、自分らしさを
発揮しつつ、相手のいいところもだしてもらうといった、
チームビルディングでほしいところ、どうやるかについて
迷い、悩むことが多いように思います


だからこそ、いいチームになるための、なにかはしたいところです
チームといって、ついついスポーツのことを、思い出しますが
スポーツのルールよりはるかに複雑で、場合わけの多いビジネスで
いいチームとなるには、結構努力が必要なんじゃないかと
想像します


「聞き上手」ということが、処方箋として浮かびます
相槌をうつ、全身で聞くようにする、といったトレーニングが
浮かびます
ミヒャエル・エンデの「モモ」を、思い出します
聞き上手って、すばらしい。でも結構トレーニングが
いりますね


すべてのことの前提に、同じ時間は存在しない
一瞬、一瞬のドラマの連続だということ
だから、面白い、だから、貴重なんですよね

お雑煮の話

ずいぶん、まえ、15年くらいたちますが
仲間と、お雑煮の話をしたことがあります
日本には、お雑煮の種類がたくさんありますね


江戸の雑煮は、シンプルと聞きます
具は、かまぼこと小松菜だけ
だしは、かつおだし、お餅は、四角い、そして焼く


具、だし、お餅は丸餅?四角い
焼く、焼かない
それぞれ、おうちでの個性があるようです


だしは、かつおだし、なのか、鶏のだしか
具は、どうもいなかにいくと、具沢山になるようです


では、我が家は?というと
だしは、かつお
具は、だいこん、サトイモ、小松菜
餅は四角くて、焼いてあります
思い出すと、10代の食べ盛りは、5つも6つも食べていました
もういまはせいぜい、ふたつがいいところかな


変わったところで、四国のどこかですが
アンのはいった餅を、雑煮に使うと聞きました
つきたての餅のアンをいれる


またもうひとつ、変わったところでは
ノリがたくさんはいってる、漁師町の雑煮
なんでも、そのノリは、はばのり
そして、その漁師町では、雑煮は必ず、男性が作る決まりがある
とか


このくらいの時期になると、お正月に食べる、ごちそうのことが
頭に浮かびますね(食いしん坊だな)
でも、お正月になくてはならないものは、餅であり
お雑煮じゃないでしょうか?


今年、10月、親しくしてる、越後の和風いん越路さんに
社員旅行でいって、収穫体験をさせてもらいました
そしたら、餅つきもやらせてもらえたのですね
もちろん、つきたてのお餅もその場でみんなでわいわいと
いただきました
楽しく、おいしくとってもいい思い出です
そういうところに、すばらしくマッチするのが
お餅なんだと、実感した、ひとときでした


さて、もういくつ寝ると、お正月
楽しみです

手紙を送る

友人の何人かに今年、クリスマスカードを
送りました。今年はどんな年でしたか?と
伝えました


電話や、メール、またLINEといった手段がふえて
手紙を書くということは、減ったでしょう
手紙はもう書かないという人もいるようです
でも、そんなときだから、手紙はいいなとも思います


ちょっと前に、読んだ本に、電話は、そのとき「応対する」
ということを、強制するツールともいえると書いていて
「おお」って思いました。そういうふうに「強制」なんて
言葉を使われてしまうと、電話が身近だった(メールなんて
30代になってから使いだした)私としては
そんなに、「邪見な言い方しなくても」とも思いますが


手紙のよさって、ふわりと届いて、自分の読みたいときに
読んでねという、そういう感じがあるってことですね
くせ字だし、ぜんぜん、いい感じでは書けないのだけど
手書きの文字は、やっぱりデジタルなものより
あたたかいのだと思います


それから、わざわざ、というか、一定のテマをかけてる
ということがわかるのも、いいのではないですかね


書くほうとしては、しばらくの時間、その相手のことを
考えてるわけです


私が手紙を書く、その意味というか、よさ、効果といって
いいところはそこにあります


例えば、いい景色に出会って、だとか、美術館で
いい作品に出会って、その出会ったときの印象を
友達に書いています


今年は、パリでいろんな絵を見ました
そのなかで、ルーベンスが描いたという
マリー・ド・メディシスが以来した彼女の伝記といっていい
一連の連作。その構想のすごさ、またその依頼を
自分への挑戦として受け取った(中野京子氏の解釈)
面白さ


そんなことを、思いを込めて、書いてみました


絵って、こんなふうに楽しむことができるんだ
それは、文学において、ひとつのジャンルしか
楽しめなかった人間が、あるとき全然違う、ひろい世界を
知って、わくわくしてるのといっしょのような
いいえ、それより、極彩色であり、奥深いビジュアルな
世界に足をふみいれた喜びを、感じていました


手紙で、伝えたいことは、自分の気持ち
それを、文字に込めて、仲良しに送るということが
自分自身に刺激になるのです