誰に会いますか

私自身の、自己分析をするとき
自分は、人から影響を受けやすく、人との
距離を縮めたり、人の気持ちを、自分のことの
ように感じたり、そういうことを、してる人間だと
思うようになりました


はたして、この他人との距離が近い、自分は
経営者として、いかがなものでしょうか?


思うに、それは強みにもなり、弱みにもなる
ことだと、思います
強みというのは、ある人の気持ちに近いものを
感じることができる、共感といっていい、ある人と
まさに、いっしょになにかするというときに、ほしい
能力をもってるということになります


弱みというのは、相手の考え、感覚に近いことが
多いということでしょう。経営者は、「軸」として
変わらない、信念、といったものが、求められる
といっていいでしょう
「変わらない」から安心して、リーダとして認める
ということがあるものと、思います
そこが、朝令暮改、他人によって、気持ちはまだしも
考えまでも、変わるとなると、いかがなものでしょうか


「誰に会うのか?」といったことが気になります
自分に、まさに切磋琢磨するような、刺激を与えてくれる
人と、あっていれば、そのように、反応し、その刺激を
いいなにかに変えていけるでしょう


一方、明後日の方向に話がいくような人とあっていると
経営という軸には、あまりプラスにはならないでしょう


先日、ある会社の社長と話していました
その社長さんは、自分で起業して5年とか。私は
ついおせっかいにも、社長は社長にあったほうがいいね
などと、少し先輩風をふかしてしまいました


でも、それは、事実であり、まさにスポーツするなら
筋トレ、といっていいくらい、社長をやっていくなら
社長と会うことって、大事だと思います


人と会えば、つい自分と比較します
ですが、比較しすぎて、相手が立派すぎれば、ああと
自分が追いつかないことを、思ったり
相手が、なにか、やっぱり違和感があったら、その違和感の
方向になにかを、考えたり
そういうことは、ほどほどとして
やっぱり、考えを響き合わせ、そしてそのハーモニーから
いいアイディアであり、なにか時代の空気感といったことに
自分の頭を、リフレッシュさせながら、使いたいもの。

 

言葉の力

ひとりの商人、無数の使命
昨日、4/12 日経夕刊にのる、
伊藤忠の会長、岡藤正広氏の言葉です


私なりに、解釈するとすれば、商人は価値を
生むと同時に、責任も負う。その重みを知って
商売をしよう、となります


ずいぶんまえ。学生のとき就職も決まって
いなかったときでした。「ある村で、瓜が
たくさんとれて、余っていた。売ろうにも
その村では、もうあふれていて、売れはしない
そうなのだけど、それを移動して、離れた村で
売れば、売れるのだ」そんな話から、ニーズが
どこにあるかを知り、そのニーズにあわせて、
もの、サービスを提供することって、価値を
生むのだと、感じたことがあります


価値を生む。誰かが欲しいと思うなにかを、提供
する。そうだけど、「売る」からには、その売った
だけの、責任を負うということがあるのだということ


物流は発達し、インターネットは世界中をつなぎます
そういうなか、なにを、売るのか?自分たちができる
一番の提案はなにか?
そういう、問いをいつも持ってるということもとっても
大事なことです


岡藤氏の、説明は続きます
ディズニーランドの心得として、「赤ちゃんが
ハイハイできるか?」これが掃除の目安に
なるという。
これ、本当にすごいことですけど。こんな
いい、わかりやすさって、ないなと感じます


経営者として、「ビジョン」を考えるということを
気にしています
当社には、社員が身に着けたい、6つの力というのを
掲げています


意欲喚起力、自己コントロール力、報告力、for the teamで動く力
継続学習力、目標発見力


大久保幸夫 「仕事のための、12の基礎力」という本の
なかにでてくる、いくつかが、もとになっています
そして、意欲喚起力は、この2年くらいで、考えだしました


ある社員と話していて、「自分で自分をよくしていこう」という
気力、だったり、思いというのが、見えてこない
これは、どうしたらいいか?と、頭を抱えました
実際、上司のまえで、自分は、ステップアップすること、自分を
高めよう、そういうこは、いらないです、そんな態度をとられたら
ちょっと、お手上げ、とも見える、やばい、状況です


せっかく、仕事するのです
仕事は、学びがあってこそ、仕事です
そういう言葉に、真向から、いや、そんなこと知らないよと
聞こえてきます


実際のところ、若い不安定なときって、ある問いかけには
前向きに、答えられて、ほんのちょっと、気持ちが沈むと
そういう、いい状態から、落ちていってしまうということが
ありそうです


成長すること。それは、どうしても、スポーツのときの
筋トレといっしょ、自分で自分を強くする、自分で決めて
継続するトレーニングということが、伴うと、思っています


さて。あなたは、価値を生める、なにものかになるために
どんなトレーニングをしていますか?

決めるということ

なにかを、決めるというとき
どういう、考え、重い、そして、ときには
信念とか、人生観といったことに、つなげていくのか
そういうことを、思います


なにかを、決めて、誰かに行動してもらう
「リーダー」であれば、そうしたなにかを決めること
行動してもらうことを、繰り返しやっていくのが
必要です


個客の価値を生む、システムを作っていく
さて、ここで、「価値」とはなにか?という
ずっと追いかけていくであろう、疑問がでます
「事務(業務)の正確な処理」「利便性の向上」
こういったことが、システムに求められ、ここが
損なわれると、たたかれます


さて、価値とはなにか
上記にあげた、事務処理だったり、なにか、
分析する?とかの、考えるときの補助的な
ツールだったり・・・
システムに求められるものは、多岐にわたります
おそらくは、ここ20年、30年と、データの活用といった
ことが、盛んにいわれ、データベースを、高度利用しよう
という、考えがでます
そこが、どうも、新聞にのる、DXなる言葉のひとつの
切り口といっていいようです


ところが、「データ」になってないものは
たくさんあって、世の中の動きが、すべて、データに
のるような、感覚で、話が進むのも、どうなのかと
思うこともしばしばです


さて、なにかを、決めるというとき
決めるためには、決めない、つまりは
なにかを、「捨てる」ということもあるということを
知ることが大事です


また、決めるという行為は、重要で、その決めて
行動する、グループに属する人は、決めたなら
それに従って、行動すると、合意できてるという
ことが大事です


わが社は、来年、「売上拡大」ということを
掲げて、行動するということを決めました


実際、売上をあげるということ、企業という形の
うつわには、必ず必要だと、感じます
そうなのですが、いままで、第一に売上をあげると
掲げて、行動したことがない、ということに
気が付きました


こうした、考えは、人間は「試してみる」ということが
結構好きで、やってみるのもいいという考えの
もとに、なりたってるところがあります
やってみること、行動してみることで、理解できる
ということも、多いですね


やってみて、行動してみて、納得するって
いいことですね

キャンプ

日常を離れてみること
これって、とても、いいことがありますよね
日常、なにげなくやってること、使ってるもの
そうしたものを、客観的に眺めてみる
新たな発見、気づきがありそうです


日常を離れてみること、すぐ浮かぶのが
旅ですね。その旅のなかで、一番、日常を
がらっと変えてみる、そればキャンプなんじゃないか
そういうふうに思います


電気、ガス、水道。こうしたものが
ないとしたら?
まあ、キャンプ場でやるとなれば、電気もあったり
するのが、ここ最近では普通なのですが。
「火」ということを、思いますね


火を、まきなり、炭でおこして、その火を
囲みたいと思います
火を囲んでいるというのは、人間のおそらくは
人間、言葉をもたない、人間と呼べるかという
時代からの、ずっと続けてきた、行為なんだと
思うのです


こどものころにやった、キャンプファイヤー
キャンプやっての、最高の、思い出です
火があって、「火の神」なる登場人物
そして、ゲーム、踊り。
フォークダンスが、とても、神聖な踊りに
思えてくる、不思議が、空気感


最高に楽しいことって、やっぱり、何年たっても
色褪せない、いい時間になるんだと、こうやって
思い出すと、そう思うのです


キャンプするってことは、人と人が協力する
そういうことを、覚える機会でもあります
さっきの、自分で起こした火を使って
食事を作るなんてことになると、楽しいですが
協力が必要ですね。食材をどうするのか?
火をみていないとだめです。そして食べる
語りながら食べるということ


核家族化が進み、兄弟も減ってしまって
人と関わるということが、どんどん希薄に
なっていくのを、感じます


それは、人間の退化につながると、ずっと思って
います
楽をすれば、やっぱり退化していくもの
筋肉は使わなければ、衰えてしまう・・・


キャンプに誘われました
目の前が海で、ゆったりとした、時間
なにに、使おうかと、わくわくします
実際、なにもしないぜいたくってやつも
とてもあこがれます
でも、あこがれだけになるかもしれません


海辺の空気を感じながら、野外で食事する
そんなことを、楽しめることを、思いながら
準備するのも、いいものですね

マナーの話

友人の家に招かれ、食事をすることになりました
そういうとき、シャツも上着も、薄汚れ
ズボンも、くしゃくしゃだったりすると
そのとき、料理を用意してくれた、友人の奥さんは
きっと、自分の料理をけなされた感じがしちゃうもの


この話、マナーとはどんなものかという、たとえ話に
使ったり、使いたいと思ったりするのですが
はたと、気が付くと、そういう大事な場面
友人に、わざわざ、手作りの食事がでてくる自宅に
招かれるなんて場面がない、たぶんいままでも、これからも
そういう、人っていうのが、いると、やれやれとなる


生きてる人の、生活のしかたにより、マナーの
ありかたといったことも、変わるのは、それはそれ
かもしれない
実際のところ、日本人で数十年前だったら、ありえない
のかもしれないけど、正座するなんてことは
もう私はできないし、相当数の日本人もそうなのでしょう


大事な場面では、ぱりっとした、洋服をきて
清潔感あふれる、スタイルで、望む
そういうことが大事ということ、これもマナーだと
思うこと、これが伝わらないとしたら?


ここしばらくで、気にしてること
「尊敬からはじまる、人間関係」これが
大事ということです


生きてくうえで、「出会い」ということが
とても、大事なことだと思います
出会いから、自分の生きていく道をみつける
ヒントになったという話は、歴史だったりいろんな
本が教えてくれます
ときどき、思うこと。自分には出会いがない、と
いう人がいますが、いいえ、そうではなくて
出会っているのに、その出会いを、受け止められない
自分自身の問題なのだ、ということです


人間、成長するのには、学びが欠かせません
「学んでること」この現在進行形なことが、自分の
会う人のなかに、やはり、「学び」がある人がいて
そのことが、刺激となり、いい仲間となり
そういうことが、出会いなんだと、思うのです


現在進行形だから、「気づける」
気づけるから、尊敬が生まれる


この文章の一番上に書いた、食事に招いてくれた
友人。その友人を尊敬という気持ちがあって、
自分のなかに、位置付けていたとしたら、はたして
マナー、どう受け止めるのでしょうね


だいぶ前。古い友人と話していて、うんいいなと
改めて思ったこと。「大事なことは人が情報持ってる」
ということ。つまり、いい出会いを、いい人生に
活かしてる人こそ、人生の達人といっていいでしょうね


学びがあり、あるべき姿を忘れてない
そのことが、素晴らしい人生を送る、大事な地図を
読む、ヒントです
あなたの、素晴らしい人生を
私は応援したいです

自己実現

生きてるから生きる


高校時代に、そのとき担任の先生だった人に
「人はなぜ、生きるのか?」といったことを
質問して、生きてるから生きると答えがあって
ああ、なるほど、と、思いました


それは、生きていれば、素晴らしいことにも
出会えるのですよという、こと、とも、受け取られ
ええ、そうですね、といいたくなりました


人間は、自己実現することで、生きてることの
意味があるというようなことを、考えます


以下引用 「経営品質向上テキスト」 P.20


自己実現

そこでマズローは、人生に成功し満たされた人々を観察して
共通の特徴を見出そうとしました。彼が研究したのは
アルバート・アインシュタインやエレノア・ルーズベルト
など一派な人々だったのです。そして、こういう人々には
共通して、「あるものになりたいという欲求、自分が
なれるものになりたいという欲求」があることを
発見します。個人が自分の個人的な潜在力を達成するという
この欲求のことをマズロー自己実現欲求と名付けました
楽家は曲をつくり、芸術家は絵を描き、新人は詩をつくる
ように、人はなりたいものになるというのです


自己実現する、ということが、仮に人間が生きてることの
とても大きな価値であり、存在としての意味だと
定義したとしたら、「生きてるから生きる」は
いかにも、消極的とも言えるようにも、思えて
えっ?というように、立ち止まってしまいます


ところが、ちょっともう少し考えてみると
生きてるから生きる、という、この思いの延長上に
自己実現の考えも浮かんでくるのだということも
考えることができます


自己実現できる、または、している人は、生きてるから
生きていて、自分が意識して、ギアをあげることで
自分のなりたいものへなるという、行動を、くりかえし
やってるのだ、そういうようにも、とることができるのです


生きてること
このことを、まず、肯定する、そういうことが
「自然体」ということにつながるのだと、気が付きます
自然体がないと、身が持たないということもあるように
思います。自然体という、いつもできる姿勢で
生きてることが、ベースにあって、自己実現する
時間が、気持ちよく、いいサイクルで、もてるのだとも
言えます


生きてる、この瞬間、たとえば、自然が見せてくれる
風景だったり、人がもつ、優しい心、挑戦精神、
そうしたことをアンテナがとらえたときに、思う
共感できる心、受け取れる感性ということを
持てば、人生をより豊かに、自分を、活かす
生かすということで、生きててよかった、素晴らしいと
思える時間が持てる


そうした、共感をあなたと、持ちたい
人生の宝物といっていい、なにかを、いっしょに見たい
味わいたい。これからもずっとね

思うがまま、描く

新潟県南魚沼市にて、みつけたあ、棟方志功の板画
釈迦十大弟子、志功の思いがこもった作品と
言っていいと思います


解説に、棟方志功は、十大弟子を思い浮かべて
ひとりずつ描くってことはしてなくて
思うまま、人間はこんな顔をするのだと思って
かき上げ、それを、十大弟子にあてはめたのだと
ありました


え?宗教の、なにか、ばちあたりなことをしていないか?
という考えも浮かんだのですが、直後
いいや、これこそ、正解っていうか、もともと
十大弟子って、どうよと思うと、ほんとに
弟子が10人だったのではなくて、あるとき
象徴的なエピソードにつなげて、10人を言った
人がいて、それから、10大弟子ともなったとも
思えてきて・・・


富山県福光の土地にいくと、棟方志功がのびのびと
描いた、松だったり、棟方志功の生きた軌跡といった
ことがかいまみれる、ギャラリー、展示に
会えます
そこでみた、やはり解説、棟方志功が師とあおぐ
柳宗悦は、「棟方志功自身が、自分で自分の絵に
責任がもてない」といったことを、つなげて
責任がもてないというのは、無責任といったことを
言いたいのではなく、これは人間の責任がもてる範囲を
超えて、神しか、扱えないのだと、書いています。


さて、先週府中市美術館にて、与謝蕪村の絵を見ます
「田楽茶屋図屏風」
うーんと、うなるのです
一瞬で、表情をとらえてる、人の顔、姿・・・
田楽を焼く女性の、おいしそうな雰囲気
それを食べる、まあ、そののけぞりかたから
これ、ほんとにうまいんだなと、思う、男
ツンデレ、って思うような表情の女性・・・


蕪村の、筆、こう描こうが、あるように思えない
筆が、動いていく先に、この表情、風情をもった
人がでてくるように、思うのです


小説を書く人が、ときに、主人公が勝手にしゃべりだす
ときがあるという、言い方をします


絵を描くにしても、物語を書くにしても
人の、考えを超えた、いわば、ゾーンに
はいってるような、そんな時間、そんな
発想がでるときというのが、あるのかなと
思います


府中市美術館。図録の表紙にもなってる、うさぎくん
このうさぎが描かれた、「涼しさに」自画賛


このシーンをきりとった、蕪村の気持ちのなんと
おおらか、そして、柔軟、かつ、しなやかで
風情を楽しんでる様のよさ、があるように思います


昼間の暑いときをさけて、麦をつく、老人
その月夜の様のよさ


こうした、なにげないひとときを、楽しむことが
できるというのは、ほんとうに、人生の達人
じゃないでしょうか