和歌について

日本語というのは、なんて美しく、素晴らしいのだろうと
思うことが、ときどきあります
枕草子を、京都の言葉で聞いたとき、教科書にでてきて
だらだらと、読んだのと、言語が違うんだと、思えた
そんなときもそうでした


枕草子は、随筆なわけですが、音で聞くと、うた、じゃないかと
思えるように、感じます
そして、万葉の時代から、うたということを、大事にしてきた
日本に、思いをよせます


ちょこちょこと、と、和歌を学んでみたいと思うことが
でてきました。それは、東山魁夷の画集の序文にある、川端康成
言葉から和歌を、学ぶということは、日本語の語感を学ぶことと
言ってること、それも、いいなと思ったことのひとつです
また、一昨年くらいでした。NHKの番組で、俳句の番組が
あり、学生で、部活で和歌を作ってるという人が披露した
句が印象に残りました


家族とは 静かなる縁 晦日そば


これを、即興で、一人が一句ずつ、歌ったのですね
ちょっと、目を見開いて、すごいなと思いました


和歌、明治の人、正岡子規は、ずいぶんいい句を
残しているし、小説で読んでのことですが、正岡、その
人の人柄が、とても、好ましく、例えばリアルに知り合えるの
なら、ぜひ、親しくなりたいと思うような、そういう人
だったと思えています。さらには、その正岡が好きだった
和歌を、ちょっと覗いてみたい、そういう気持ちも
あります


ご存じの人は多いでしょうが、正岡は、夏目漱石と親しかった
とのこと。その親しいというのがわかる、エピソードとして
夏目が、作った句について、正岡が品評を返してるという
ことがありました。そして、厳しく評価する、正岡に
少し逆切れした、夏目は、自分の作った句について
なかには、いいもの、もあるだろう、そういうときは
褒めてくれと、言っていたり、そういう遠慮のなさというのが
楽しく読めたことが、とてもいいです


さて、夏目にとって、正岡がまさに和歌では先生ですよね
そういうことを、知ると、自分も歌の先生がほしいと思ったりも
します。しかしながら、無理にさがせば、やっぱり無理がでるとも
思います。それゆえ、遊びではじめてみようかな、とも
思い出しています


先生がいれば、きっと、知識だとか、楽しみ方も増えるのも
あるでしょう。そうなのですが、和歌、というものの性質上
ひとりで、自由にやると、それはそれで、楽しめるとも
思ったりしました。


うた、ということも、表現と、みれば、やっぱり誰かに伝えてこそ
ということもあります
そうだけど、しばらくは、トレーニングに、ちょっと遊びで
ひとりで、やっておくか?
それも、楽しいかなと、思い始めた、このごろです

ウォーキング

ウォーキングしていて、一定の時間をやると、ウォーキング・ハイと
いっていい、そういう気持ちよさが生まれると、感じます


これは、スポーツしていて、のめりこんでいくような
軽く「ゾーンにはいる」といっていいような
そんな、不思議な気持ちよさだと、思っています


「夢中になれる」ということは、なにをしていても
ぜひ、ほしい、満足感につながる、また、自分自身
またやろうという気持ちにしてくえる、いい状態といっていい
と思っています
そのために、一定の時間、あることをするのですね


自分自身のことでいえば、たとえば、読書、旅行の計画
それから、仲のいい人との対話、ですかね
料理してるときも、ある種、夢中になれるといっていい
ときも、感じること、ありますね


それから、仕事にもつながるのですが、「試す」ということは
夢中にしてくれる、ひとつの方法かもしれません
試すことは好き、なんじゃないですかね


研修をやるとき、最初に行うことが、アイスブレイクです
このアイスブレイク、実際のところ、対話の最初のお試し部分
といっていいかなとも思います


今月の頭、10人ほどで研修をやったときの、アイスブレイク。
いままで、自分が経験した、いいことを話そうとやってみました
いい景色をみたこと、素敵な人の振舞いを知ったこと
好きな本に出会ったことなど、話し見ました


アイスブレイクは、対話のお試しと、書きました
アイスブレイクが、いい感じで進むと、そのあとの
プログラムがスムーズだと思います


対話、話のやりとりから、気づくということを、重視しています
それは、双方向であり、情報がオープンで、自主的なことと
思うからです
研修は、そのために、考えたり、意見交換したりということを
くりかえして、進みました


ある人が、移動して、歩いてみるというのは、右脳と左脳両方使い
とても、考えるのにいいのだということを、教えてくれました
確かに、机にすわって、考えているように、身体を動かして
いるときのほうが、考えが浮かぶということがありそうです


さて、ウォーキング。さきほども、昨日気づいた、なにかしら
改善したいこと、について、考えをめぐらせました
ある局面、あるグループ、そしてそのとき、見えてきた課題
こうしたことに、どう取り組むのか。視点はどこに置くのか
こうしたことは、経営もそうだし、経営とまでいわなくても
そのグループが活性化するかどうかで、とても大きくクローズアップ
される、大事なことです


こうしたとき、まさに、抽象と具象をいったりきたりする
少し俯瞰してみて、また、ズームして、細部もみて
ということを、繰り返す・・・


今日、ウォーキングしていて、ウォーキングの習慣って
自分にとって、とても大事なものになってるし、まわりのみんなにも
おすすめしたいなと、改めて、思いました

カフェの話

鶴見に、マチネ、というカフェがあります
おそらくは、店主がこんな店を作りたいという
感覚で、やってるといっていい、そういう雰囲気の
ある店です


まず、空間。のんびりしていってね、という
半ば、店主のおうちの、リビングのような、そういう
ソファの席、カウンターからのほどよい、距離感


子育て中の人もどうぞ、という感じ。絵本がおいてあり
無理なく、ゆるゆるとした、時間が少しもてる
という感じ


カフェめぐり、ということに、楽しさをみつけたいと
思っています


鶴見では、まだ行ってないのですが、三ッ池公園の近くに
Cafe MITSUIKEなる、お散歩のときにどうぞと書いてる
カフェがあって、ちょっと気になっています


それから、たまに行く、志楽の湯という、日帰り温泉
近くに、ノチハレ珈琲店という、店をみつけて
にんまり、しました。珈琲店だけに、珈琲がおいしいです
チーズケーキもおいしかった


ずっと、営業という立場で仕事をしていました
(いまは、専任の営業ではないにしても)
そういう、オフィスの外にいる、自分の時間、カフェで
過ごすというのは、貴重です(つまり、少しさぼりも含めて)


都内で、ちょこっと、報告をまとめたり、少しだけ考え事
したり、もちろん、ほっと息をついたり、ということで
たとえば、ドトールコーヒーベローチェ、スタバなど
あります
それぞれ、特徴がありますが、効率の問題かもしれないですが
今は、席が近いと、ちょっと、いやだなというのも
あったりします


お昼時でなければ、ファミレスを使うのも、「手」なんですね
ドリンクバー、自由につかって、それなりに席が
すいてるという感じ
ただ、あくまでも、雰囲気はファミレスですが


時間がなければ、そこにある、店を使うしかなくて
都内なら、必ず駅とかには、チェーン店のコーヒーショップは
あるものです
そうして、あまり選べないのですね


珈琲がおいしくて、ほっとできる店があると、とても
うれしいものです


珈琲がおいしいということと、まずまず、自分のオフィスから
近いということで、ときどき使うのが、カフェパウリスタです
席もほどほど、話してくれていて、また2階が禁煙となったことも
とてもうれしいことです


お店の方針でしかたないのですが、気持ちいいカフェがあって
いいな、ほっとできるなと思っていて、喫煙可だったと
なると、いっきに、気持ちいいと思っていたことが、ふっとんだ
なんてことが、あります
まあ、お店の考え方ですね


在宅勤務がふえて、珈琲飲む機会が増えました
できれば、珈琲、おいしいものに、ひたっていたい
チェーン店ではそれなり、くらいしか、でてこない
これも、まあまあ、しかたがない、ですが・・・

雨の街を

昨日は、在宅勤務を終えて、いつもより早めの
夕飯をとります
テレビをみながら、食べていると、懐かしいメロディです


荒井由美 「雨の街を」


実際のところ、この曲が印象に残ったのは、オリジナルの
歌声ではなく、高校時代の軽音楽部の先輩から、カセットで聞いた
ものでした


マイナー7という響きは、どうしてこんなに、切なく響くのか
ユーミンの、特に荒井由美時代の、少女の一面をスポットあてた
曲にある、せつないなーと言いたくなる、そんな曲


私はなぜか、そうした、ちょっと悲しげな、シーンに気持ちが
シンクロして、カセットテープなんども聞いたのを、思い出します


昨日のテレビでは、詳細は書きませんが、「思い出」といったシーンで
大事な人との大事な時間という感じで、流れてきたのが、雨の街を
そして、おそらくは、母親になっても、少女のようなみずみずしさを
もっていた、女性の面影とあいまって、また私の気持ちにシンクロ
するのです


同じ番組で、音楽と記憶というのは、結び付いてますね
という解説もありました。確かに、ある曲を聞くとそのときの
自分の気持ちがよみがえるということがありそうです


ユーミンは、アップテンポの曲で覚えてるという人は
多いと思います。「カンナ八号線」「星空の誘惑」
「デスティニィ」・・・
一方、ユーミン、アルバムで聞きこむ人は、バラードの
ユーミンが好きという人も多いですね


スターというのは、いくつもの面、曲調、俳優だったら
そのこなす役柄ということになりましょうか?
いくつももってるのが、本当のスターという感じも
あります


ユーミンでは、海をみていた午後が、とても好きで
実際のところ、なかなか、自分の声では似合わないぞと
どこかで、思いながら、仲間うちだけのカラオケだったら
必ず歌う曲になっています


なかなか、名曲といっていいのですが、詩について、思うと
ユーミン、このとき、こんな詩をよく書いたなと思うのと
だんだん、自分が大人ですれてしまったからか、こんなふうな
ことは実際はないんだよな、なんて思いながら、詩は詩だから
といっている、自分がいますね


雨の街を
雨が、ささやきながら落ちてくる、妖精、と歌う、
これも詩だな、と、やっぱりいいなと、思うのですね


どうやら、雨の季節は、終わりに近づいた気がしますね
雨の呼び名が、いくつあるのでしょう?20やそうこらは
ある。そんな国にそんな言葉を母国語とした、自分がとても
いいなと思うのは、自然じゃないでしょうか


ユーミンの曲は、まさに青春の自分のなにかしらの一コマに
ずっとくっついていて、忘れないこと、いっぱいある
そういう、まさに私のある言い方をすれば、テーマソング的な
存在になりますね


雨の街を、機会があったら、ゆっくりできるときに
聞いてみてください

パーティしたい

パーティということが、好きです
(いまはできないけど)
楽しくしゃべれる、仲間と、ふんだんに食べ物
飲み物を用意して、時間に制限をつけずに
よく飲み、語る時間


そういうことって、人間にはすごく、すごく大事な
ことのように、思っています


お互いをさらけだす、そうしたことができること
そういう時間、そういう相手、そういう場所が大事だと
思います


人間という、考える動物はどうしても、自分のことが気になります
そうしたとき、あけすけなものいいをして、自分って
どうなんだと、確かめるそういうことがあっていい
いいえ、そういうことがないと、どうも、自分自身を
見失う、そういうことが起こるように、思います


食事は、食べやすいものがいいです
冬なら、鍋、そうでなければ、オープンサンドとか
手巻き寿司なんて、いいですね
それから、ちょいと手間はかかりますがピザってのが
みんな好きだということを、今年の春、再認識しました


鍋は、王道でいえば、おでん。それから、気軽に豚しゃぶ
我が家のお気に入りは、鶏鍋。原点にもどって湯豆腐もいい


同じ鍋から、具材をとって、ほおばることで、まさに
一つ窯のめしを食った、仲間というのは、感じるでしょう


うまい、うまいと、言葉でなくて、舌であり、胃袋で
感じれば、言葉だけでつながるより、感じで、あ、こいつは
仲間だということを、感じれるように思います


手巻き寿司は、気取らず、高いものでなくていいです
赤身のまぐろ、サーモン、さんま、あじ、いかなんて
そんな感じで、十分、おいしいし、楽しいです


手巻き寿司用に、ごはんも、のりもだして、わいわいやると
おいしいし、楽しいしで、パーティやってよかったって
ほんとに思います


場所、が、どうするかですね
我が家を開放していたりしたのですが、時間、大きさが
やっぱり制限があるしってことで、場所さがすことが
必要だなって思います


前に、大切な仲間が、北軽井沢の別荘に招いてくれたときは
ほんとうに、楽しく、すごしました
多様な不思議な仲間がいて、おしゃべりに花がさき
料理を作ったり(つい、自分はそっちの役回りで)
楽しみました
そういう、もてなし上手な人がいると、助かりますね
また、そういう機会があると最高にうれしいですね

仕事への興味関心

仕事に興味をもつためには?


時間をかけることだといいます


あるとき訪ねた、陶芸作家の人は、いま息子が
いっしょに仕事するのに、窯を作っています
という話をしてくれ、レンガをさがすところから
はじめますということ。膨大な時間がそこに
かけられているのを、感じました


スローフードといわれます
実際やってるのは、乾燥した豆を一日かけて
もどして、煮てみる。酒粕に、魚をつけてみる
そうしたこと。時間がかかります


効率化という話があって、時間をかけないで
成果をだしなさい、と言われます
だけど、技術者がそういう、態度ですべてを
過ごすと、おそらくは自分がなにをやってるのか
というのを、考えたくなる、そういうタイミングが
くるのだと、そんなふうにも思います


自分は自分です
それは、人から指示されて、要求のあった仕事を
するのも大事です
だけど、自分らしさというのは、探し続けたいもの


対話、と、浮かびます
自分が自分らしく生きるというときに
仲間と対話して、自分がなにをするのかみつけるのです


柳宗悦バーナード・リーチ、浜田正司、河井寛次郎
手作りのものの、すばらしさ、美しさを、いいました


手作りでなくても、自分が仕事した、自分がやった
仕事に誇りをもつという、態度、それが
どうしても、技術を志すなら、必要といっていい
いいえ、誇りをもって生きるのは、すべての人の
大切な、生きるそのものに関わる、大きなことだと
思います


価値とは、なにか?
人それぞれだ、とも、言えるのですが
普遍性をもったものということが、存在するのだとも
思うのです


そうしたとき、参考してみたいのが、古典、古典性をもった
ものでしょう
人生の先輩である、古典にでてくる登場人物は
どんないいことを、言ってるか、ひも解いてみる
そういう態度も大事だと、思います


仕事をすることは、ずっとずっとたどると
生きること、そのもの、でしょう

アートの楽しみ

美術好きな、うちの奥さんは、とてもよく美術館に行きます
最初は、「あなたが好きなら、つきあうよ」くらいに
思っていたのです
だけど、うちの奥さんの美術好きは、ただの好きというより
本当に好きで、時間と体力が許せば、本当にずっとみていたい
という感じです


だんだん、それだけ、真剣に好きになれる美術、アートなるものに
ついて、自分が興味が持ててないことが、どうも、残念に思えて
自分なりに、楽しみたいと思うようになりました


ただ、美術館で展示されるような絵は、自分の思い込みとして
「すごい絵」「すばらしさをもってる(もててないわけがない)絵」
として、認識して、それを素晴らしいと思えないのは、自分の
ほうが、勉強不足というか、無知だからだと、苦しく思えたり
したのですね


ですが、あるときから、人と会って、その人の楽しさ、よさを
感じるときと、感じないときがあるように、絵にもいかに
それなりの数の人が、認めていようと、自分の感性に響かない絵
というのはあるのだと、認識しました。そうしたら、とたんに
楽になり、自分の気持ちに響く絵を、楽しめばいいのだと
思えたのです


学芸員の、展示のしかたが、こちらの感性を呼び起こして
くれるということもあります
昨年、ポーラ美術館で、マティスとモネを並べて、「もてなしたい」
という気持ちが共通だったという、視点で展覧会を開いていたの
ですが、いわば、モネの絵、モネの持ってる、エネルギーが
触媒となり、マティスの世界が見えてきたと思っています


マティスの、明るい部屋には、マティスのお気に入りの調度品があり
部屋には、南の国ならではの、明るい陽射しが届く
そこにいる、女性は、光をあびて、ほんとうに輝いてるように
見える


セーヌ川だったり、ジベルニーの庭の、朝の光だったり、昼間
夕方と、その光をとらえようとしつづけた、モネの世界は
もてなしたいという気持ちとつながっていると思います


モネや、マティスという、理屈をいわなくても、わかりやすい
コンセプトの絵が、あって、それを楽しむのは、とても
大きな楽しみだと、思えるようになりました


美術館にいって、ついつい、その解説にも、ずいぶん見方を
こうなのかと、方向付けされたりすることも多いのですが
そうでなく、あくまでも自分の眼で自分の感じ方で
その対象を楽しみたい・・・


やっぱり、それには、繰り返し見るということになるかとも
思います。
先日山下大五郎の、図録を見返していて、山下大五郎は
油絵という、ツールを日本の風景に応用して、成功してる
という解説を読んで、洋画を描いた、日本人画家はそうしたことを
乗り越えること、それが大変なんだなと、改めて思いました


好きになった場所、好きになったなにかしらを、絵で表現する
ということを、楽しみたい。アートの世界の楽しみは
まだまだ、広がるようです