知識を生きる知恵に

先日社員が集まる、オンライン会議で
この感染症が、広がるときだから、生きていて、よりよく
生きるということの、知恵を身に着けるということを
やりましょうと言いました


ちなみに、オンライン会議。対面の会議をしていたときは
KP法といわれる、紙芝居プレゼンなるものを参考に、紙を
ぺらぺら、使いながら、プレゼンしていたのです
いまは、それが、パワポになりました


ひとつには、命が危険にさらされる、こういうときだから
真剣になれるだろうということ
さらには、リモートワークして、漠然とした不安に
なにをもって、立ち向かうのかということで、やっぱり
学びだなと思うからです


命を守る、命って、本当に大切なことだ。このことを
しっかり、身体で感じるということが、とっても大事です


だけど、若いときって、自分の身体がどうかなるなんてことは
想像できない。「死」ということを、真剣に考えられない
それは、自然なことといってもいいし、あまり死ということを
考えすぎて、暗くなっても困るということは実際あるんです


ですが、いま、感染症で、致死率が高いということで
みんなが、どうしようと、動揺もするし、行動を変える
ということまでする。このことが、どんなに
大変なことか、受け取れる自分でありたい


飲食業を、やってる人は、生きる、自分の仕事自体の
存続について、真剣に心配するでしょう
そういう人が身近にいなくても、想像できる
気持ちを共有するということが大事です


人間は、相手のことを、理解できるそういう能力を
備えているものだと、聞きます。それはDNAに刻まれている
ということ。だけど、後天的にその、共感するという能力を
磨かなければ、やっぱり使えるようにはならないのだと
言います


いま、感染症があります。困ったことです。怖いことです
だけど、物事には二面性があるものです
こうした、不自由なときだから、学べる、身体で感じることが
できるということです


人が、真剣になにかを伝えようとしてる
そのことを、受け取れる、そういう人間でいたいと思います
あなたも、そうだと、いいなと思います


今、私は50代も後半にはいっています
この年代のポジションとして、するべきことがあると感じます
このポジションだから、伝えていくこと、そのことが使命と
思えること。


意欲喚起力という、造語ですが、言葉を使いだしました
自分で自分を鼓舞する力といっていいでしょう
意識して、自分がやるかなと思ったことを、力を込めてやってみましょう
仲間は必ずいるものです。仲間と協力しましょう


生きてるということは、ほんとに、かけがえのない、すごい
素晴らしいことです。だから、よりよく生きていこうと
誓って、行動をはじめるということが本当に大事です

山に会いに行きたい

きれいな景色をみたい、山をみたい
そんな話をしている人がいて、大好きな信州のいくつか
の話をしました


高ボッチ高原
3年ほどまえ、信州にでかけて、あいにくの天気、という
ことがありました。泊まったのは、TJKのアルペンドルフという
保養所です。白樺湖の近くでした
あいにくの天気、台風がきて、その次の朝、が、景色を
みるのなら、ねらい目ではないか?
ということで、北八ヶ岳ロープウェイに行こうとしました


ところが、ロープウェイは停電で営業をやめていました
さて??ということで、「花と絶景」 上條光水のなかで
でてきて、一度はいってみようかなと思っていた、高ボッチ高原
行ってみることにしました

諏訪湖をすぎた、国道20号、そこから少しはずれて、細い道を
あがります。
曲がりくねって、あれ、このまま行き止まりになったら
どうしようかな?そんな心配をしてるなか、まだ登ると
急に視界がひらけてきます
ナビをみると、ほぼ、目的地に近い
車をおりて、散策をはじめると、あったあった、すごいすごい


諏訪湖が眼科に広がっています。その向こうには富士山が見える
こんな景色は、なかなかない。わくわくしました


信州の景色がいいところ、そういう意味では、近田信敬、志津子さんの
「白馬の達人になれる本」から、みつけた、ポイントが
いくつかあります


北アルプスのビュースポットは、いくつかあるのですが
山をみるなら、向かい側の山がいいという原則にのっとると
小川村のアルプス展望台が、まず浮かびます
特に、白馬方面の山々の、姿は圧巻といっていいでしょうね


信州で山をみていると、人間は実はこうして、山々をみて
育ってきたのではないか?それを、みなくなってる都会に
住んでる自分たちは、もともと、あったというか、長い間
人間が、山からもらっていた、エネルギーを、もらいそこねて
いるのではないか?そんなふうにも、思えてきます


さて、一番最近、信州にいって、気に入った、ビュースポットは
安曇野から、新行にぬける山道から少し、山にはいっていった
ところにある、中山高原です


ああ、ここは、まだ人工物のない、そういう場所で、北アルプス
眺めることができる。そしてそのことが、なんて、気持ちを
すがすがしく、胸のなかに、新鮮なものがはいってくる感じが
するか?


いま、鶴見川のほとりに住んでいて、その鶴見川の流れのおかげで
都会ではめずらしく、一定の展望が聞く、場所にふだんいる
ということがあります


水辺というのは、そうした空間を与えてくれるということで
気に入っています
山のエネルギーを、そろそろ、たくわけに、また信州に行きたく
なっています

レンコン

鶴見のカフェ、マチネでランチを注文しました
メインの料理は、レンコンのはさみ揚げ
これに、れたすや、いろいろ青いもの、なす
などの、野菜がつき、また五穀米のライスです


いかにも、ヘルシー。そしてうれしいのが
レンコンのはさみ揚げの、どっしりとした味です


レンコンがでると、最初頭に浮かんだのは、煮物、
くらいでした
あるとき、親しくしてる人から、レンコンとりんごを
炒め煮するという話を聞いて、気に入ってやりました
でも、このはさみ揚げ。いいですね。ちょっと
マネしようかなと思います


カロリーのことを、気にすると、どうしても
揚げ物というのは、ちょっと引きます
そうなのですが、揚げるというのは、けっこう
いい感じに使えば、使える料理法です


ずいぶんまえですが、ごぼうを、素揚げするという
ことを聞きました。それ以来、ごぼうの実際いちばん
おいしい食べ方なのではないかという感じがします


世の中の状況から、外食が少なくなり、家で食べるという
ことがふえました。勢い、どうしても作り置きを
しておきたい、ということがあります


ひとつ、作り置きということで、やってることが
乾物の利用です。いまのところ、大豆、麩、きくらげ
しいたけでしょうか


昨日は、レタスをさっと蒸したものに、きくらげのトッピングを
してみました


野菜を食べましょうということを、社員の皆さんにも
いっていて、「生で」というのは、手軽のなのですが
ちょっと、いつも生?ということもあるし
以外と、火を通すことで、がさが減るし、いいことも
あります


レタスは、ナマと思い込んでいた時期があったのですが
炒めたり、蒸したりというのも、おいしいのです
なまでおいしいというのは、火を加えてもおいしいと
いっていいかもしれません


さて、レンコン。ごぼうも似てるところがあるのですが
泥のなかで、おいしさを、蓄えてきたんだと、思うことが
あります
実際のところ、「生き方」ということに通じる気がして
頼もしいし、そうありたい、そういう、どっしり感って
大事と思います


今週の週末は、そうした、泥まみれにあった、野菜を
おいしく食べる、なにか工夫を集めてみようかな

誰かの役にたつということ

アルプスの少女ハイジの、一つのシーンで
ハイジが、文字が読めるようになって、賛美歌が書いてある
本を、ペーターのおばあさんに、読んで聞かせるという
とことがあります。読んでもらったおばあさんの、喜ぶこと
ああ、ありがたいと、手を合わせて、涙も流しています


子供と、歳をとった人がこうして、仲良くなるシーン
というのは、とても気持ちのいいものです
現在の日本でも、孫をかわいがる、そういう人の
話はたくさん、あります


ハイジが、賛美歌を読んで聞かせて、「人の役にたってる」
そういう気持ちになるということは、すごく大切な経験の
ひとつですね。この人の役にたつということが、ない
そういう社会、そういうしくみのなかで、育ってきた人
というのは、やっぱり、人間として生きる道ということを
考えるときに、大事なピースをどこかで、はめるのを
しそこなってるような、そういう気持ちになるように
思います


人の役にたつ。ボランティアの話を、ちょこちょこ聞きます
災害のときのボランティアだったり、なにか人の役に立つ
ということ、そういうことがしたい、そういう若い世代の人が
多いと、聞きました


一方、若い人と仕事をしてみて、「人といっしょになにかをする」
「協力して成果をだす」そういうことが、不得意という
人が、多くなったのも、感じます


学び直す、ということが、大事だなと思うことがしばしば
あります。当社のなかで、研修をやるときに、ワークシップの
やり方を、とりいれるということを、やっています
よくやるのが、アイスブレイク。本題にはいるまえの準備体操
といった趣旨です。


今日は、社員がオンラインで集まって、会議をします
今日の話題をするのに、ワールドカフェを用いてみよう
ということを、考えました


まるで、カフェで、リラックスしてしゃべってるように
構えないで、思ったことを、話してみる。これが、ワールドカフェの
意図といっていいです


会議をしてみて、話し合いがうまくなろうね
ということを、くりかえし言っています。ワークショップの
ひとつの、大きなポイントといっていいことは、自分の思いを
「さらしてみる」ということなんですね。自分の、なにか
飾ったりしない、そのままの思いを相手にみせて
相手から、また意見だとか、コメントをもらって、さらに
考えてみる


考えを深めたり、広めたり。これがうまくできると
いい感じで「化学変化」といったことが、起こるものです
そういうことを、感じられたらしめたもの。「やりとりから学ぶ」
ということが、実感できてるということになるでしょう


ハイジは、ペーターのおばあさんが喜ぶ姿をみて、自分の
存在を確かなものと感じる。そういう感性が豊かになる
という経験をするということ。
生きるうえで、感性を豊かにするということが、どんなに
大事なことか?
いろんな人の、手記などを読むと、あるとき忘れられない出来事が
自分の人生を変えた、という、記述に会うことがありますね
まさに、感性ということを、感じるそのままのこと、と
思います


ワールドカフェで、お互いのなにかが、響きあう
そういう時間がもてたらいいなと、思います

新聞記者

IT業界にはいって、自分のやるべきこと、ということを
考え続けてきました。あるとき、自分は新聞記者のような
役割を持ってるのでは?という思いが、頭に浮かびました


スポーツ選手と新聞記者
新聞記者は、選手と同じように、スポーツで記録をだす
とか、試合に勝つとかはできない。だけど、その競技の
様子、読者が知りたいと思う、選手の気持ちだとかライバル
とのいまの距離感、など、選手にはできない、「伝える」
という役割を持ちます


IT業界において、技術者がいまなにに、思いをもって
仕事していて、課題はなんなのか?その技術者がどういう
努力をして、その課題に向かってるのか?それぞれ
短期的なもの、長期的なもの、あるでしょう
そして、ときには、課題を真正面からなにかする、という
こともやるでしょうが、誰かといっしょにその課題に向かう
で、あるとか、上司の助け、仲間の助けをもらうという
こともあるでしょう


技術者が、成長するには、その一人の技術者が、他人と比較
できて、客観視できるということが、大きなヒントになります
そういうふうに、思ってくると、上記に書いた、スポーツ選手と
新聞記者、その新聞記者のような役割って、実は相当大きな
存在ではないか?というように、思えます


何人か、技術者の話を聞いて、比較分析してみる。
技術者の大切な、課題を超えていくそのための、トレーニン
そのための、心の強さを、持っていくその、プロセス
そうしたことを、自分事で、受け取り、ときに
エールを送るということで、話を聞き、気持ちに添う


少し前の当社の管理職会議で、「コーチング」ということが
話し合われました。このコーチング。効果があがりやすいのは
コーチする対象が、自分からなにかをやろうとしていて
また、壁にあたっているという状態があるということでは
ないか?ということが話し合われました


新聞記者と、コーチはちがいます
ですが、共通な部分があるとも、言えます
それは、対象者をよくみて、話を聞き、理解する
ということではないでしょうか?


よく、スポーツ選手が、試合が終わった後、コーチと喜びを
わかちあってるという、姿が、でてきます
それは、コーチが、いかに選手がその試合に向かって努力し
やってきた、過程、プロセスをみてるということ、理解してる
だから、選手もコーチに、やった、ということを伝えたくなってる
そういうことを、感じます


「伝える」ということに、とても、大きな意味を
感じています
人は、誰かに自分のことを、伝えたいのです
これは根源的にそうです。そうでないと見えてるとしたら
なにかが、ネックとなって、伝えたいという気持ちをおさえこんでる
ともいえるでしょう


根源的に伝えたい。この伝えたいを、うまくひっぱりだす
これも、新聞記者であり、対象者をうまく押し上げる役割の
ある人の、大きな存在意義といっていいのではないでしょうか?

判断を、するということ

本に書いてあることを、実践でできるように
する。そういうことが、技術者だったら、いいえ社会人だったら
求められる能力だと、思います


そう書いていて、矛盾ともいえることですが
知識を、実践に使えるようにすることについても
実際、なにかを、判断できるということ、そのこと
自体についても、仲間とやりとりするという
行為がいかに大事か、と、感じます


4年前くらい前だったと思います
私にしたら、かなり親しい人間関係のある、人と
話していて、その人が、自分の子育てについての
苦しい、話、またなかには、うれしいこともあったので
しょうが、時間もない、なかなか自分の情熱を注ぐ
という、気持ちをどう保つかということについて
話していて、子育てということが、とくにいまの時代
なんて大変だろうと、感じたことがありました


その、話をして、まだまだ日が浅いある日、やはり
子育てに奮闘中の別の人にあって、その人の言動が
腑に落ちたということがあります


親しい人、Kさんにしておきましょう
そのKさんの語った話が、いわゆる触媒になって
別の人の生きてる姿を理解できたということ


こうした、まなまなしさ、自分だったらどうかと
対面で、その人の話を受け止めるからこそわかる
自分として、その気持ちに、共感できるということ
こうしたことが、なにかの判断、なにかの、考察と
いったことに、重要だと思う、エピソードです


「英雄たちの決断」という番組で、歴史のある転換点
といった、場面をきりとって、その中心にいた、歴史上の
人物が、どう考えたのか?ここは本人、いくつかの選択肢の
前で葛藤したのではないか?
こうしたことが、番組の中核になり、その選択肢について
各界の専門家がこうだったのではないかと、論じてる
この番組が好きです


あるとき、渋沢栄一でした。攘夷をやるんだと、いろんな
経緯があって、京都にきた、渋沢。一橋家に仕えるか
という、選択を迫られ、迷います・・・
このシーンもなかなかよかったです


さて、人間は、人と、仲間とやりとりして、学んでいく
ということがあると、ここ数年で、思いを新たにしました
そして、それが、事実としてそうだとして、そうだとしたら
やっぱり、いい学びをしたい。いいやりとりをしたいですね


生きるということは、すべての根源といっていい
だから、ここで、ポジティブシンキングで、と、いつもの
くくり方で、終わりたくない
というのは、生き方そのものが、ポジティブになっていれば
そういうことも可能でしょう
ですが、生きるということは、そんなに単純じゃない
自分自身の存在そのものに関わること


ですが、やっぱり、後で後悔する、生き方をしない
生きていて、恥ずかしくない、そういう心意気をもっていたい
そういうことから、はじめたい
いいえ、はじめよう

アイディアコンテスト

社外の人に、アイディアコンテストの話をすると
たいてい、「いいね」といってくれます
確かに、研修という位置づけでは、とてもいい、若い人への
刺激策といってもいいかもしれません


このアイディアコンテストをやろうという、発想のもとを
くれたのも、社外の人でした
あるとき、社外で同じ業界で親しくなってきた人と話していて
自分の会社の特徴をいかにだすか?
難しいけど、とても大事なこと、ということで一致しました
そして、特徴、つまりはオリジナリティ、を追いかけるのに
そうした、発想ができるということに、まず行きつくことと
思ったのです


そこで、アイディアコンテスト。なにかを、自分たちの考えで
はじめから、やってみよう。そういうこと

 

ただ、一度やってみて、続けるとすれば
やっぱり、2回目やって、なお楽しいという感覚を
もってもらうって大事だと、思うのです
小説を読んで、仮に2冊目で、1冊目より、読んでいての
評価がさがったら、その作家は、もう次は手に取らない
そういうことも思うので。

 

そして、気にしなくてはならないことは、スタート時点で
大きく分けて、2つあると思います


いかに、レベルを高いところに保つか


なにかしら、条件づけ、やることやらないことの線引きを
どうするか?


レベルを高いところに。これは、もう生き方につながると
いっていいことと思っています
よりよく生きるということを、どこまで、一貫して考え続けるか


なにかしらの条件づけ。なんでもいいから、アイディアをだして
ということだと、評価ができない、またグループでコンテストと
やるなら、あまりにも、自由すぎると考えが散ってしまって
つなげるだとか、なにかしら、活かしていくということが
やりづらい。


去年、社員全員で、なるだけ条件づけをしないで、お試しの
アイディアコンテストをやってみました
やってみての反省が、「次はどう条件をつけるのか」といったことに
つながっています


こうした、考えをつなげて、レベルアップしようということが
いずれ、自分たちだけの、考えのものにいきつくのでは
ないかという期待があります


ただ、やっぱり、続けていくということは、エネルギーが
必要です。エネルギーを補給しながら、やりたいですね


当社、システマーズは、この10月から第50期に入りました
人が輝く50期にしたい。心からそう思います