記憶から、生き方をみつける

去年、記憶というものは、後から変えることが
できてしまう、という、平野啓一郎の小説のなかの話に
とても、関心を持ちました


主人公が、小さい頃おうちの庭で遊んでいた石
それを、テーブルにみたてて、おままごと。
その石に、祖母は頭をぶつけて、亡くなった
さいころの、思い出の石は、そのふんわりした
思い出のものと、変わってしまう・・・


ふるさと、というのは、おそらくは相当な割合の人に
とって、とっても大切な、存在でしょう
自分にとっては、横浜、が、そうですね
仮にですが、横浜、そこで大災害が起きてしまったりしたら
やっぱり、印象、横浜でもっていた、思い出の印象は
変わるのでしょう


灰谷健次郎 「天の瞳」の中で、主人公の祖父は
記憶というのは、死んでいく人の言葉、振舞いを
覚えておくこと。それによって、肉体は死んでも
その人の、言葉、その人の生き方といったことを
生かしておくためにあるのだと、言います


この言葉を聞いて、自分がいっしょにいて、いっしょに汗を流し
いっしょに、誰かを育てようとし、いっしょに生きて、自分が
育てられたなと思う人の言葉、生き方を、覚えていようと
思いました
ところが、記憶というのは、結構あいまい、指のすきまからこぼれる
ように、あれ、そうだったかなと、断片はもってるはずなのに
その断片をつなぐ、大事なピースがみつかならない、なんてことが
よくあります


父、覚えてるのは、厳しい顔して、「それはやっちゃだめだ」と
おさえる、怒る人でした
だいたい、父親の役割というのは、世間のこれこれを、守るには
あなたは、普通に生きなさい、はみ出した行動をするんじゃないと
たしなめ、時に叱る、役割ですね
実際、自分が生きていくのに、必要なら、どうしてもなにかをやりたくて
親が反対するなら、まず、親を説得できなければ、なにもはじまならい
その最初の壁が、父親でしょう


大学生くらいから、こちらも機嫌がよくて、父親もいた、週末など
いっしょに、お酒を飲んだことを、思い出します
父親は、ときにほめたり、ときにちゃかしたり、私をしながら
たぶん、気分よく、お酒を飲んでいたのだと思います


若い人には、ぜひ、自分の親との時間を大切にしてほしいと
言いたいですね。寄りかかってはいけないです
少なくとも自分の意識としては、対等に(たぶん先方は対等ではないですが)
相対してほしい。社会人になってからこそ、そうした時間を
作ったほうがいいです


できれば、親から叱られて、なにかしら、わだかまりがあったりしたら
それは、親が元気なうちに、いっしょになにかして、お互いほぐしていく
そんな時間があったほうがいいです
記憶は変えられるのです


去年、社内で会議をしていて、ベテランさんが言った言葉が、とても
気になることでした。当社の若い社員、親とは別の大人と会話、しないのでは
ないか? そういう経験がない、だから、自分の先のことを考えたり
ということが、とても少ないのではないか


せっかく、元気に五体満足に生まれて、なにか、したい、じゃないですか
ちょっとは、考えてみてもいいよね

営業の話

営業をやっていて、どう感じていますか
最近、はじめて会う、若い営業の方に話します
「自分が関わることで、付加価値が生まれる」
「技術者の気持ちに寄り添う」
これは、ふたつとも、まだ営業をはじめて、半年以内
という人、ITの営業をはじめた、という人が言った言葉です


とても、感心しました


付加価値を生むということは、まさに営業が存在価値が
あると言っていいことだと思います
つい、「拡大解釈」をします。システムにおいて、作っていくのなら
ある技術者が、その力を発揮することで、そのシステムの
ある部分が、実現できる、とかあります
こうした、価値を生み出していくことで、私たちは、対象である
企業だったり、個人だったり、社会ということもあります
価値を提供をしてると思います


仕事をするということは、価値を生み出していく
そういうことにつなげていくということがありそうです
どんな仕事だって、貴重です
社会に役立ってるという、感覚をもって、仕事をしてほしいです


営業という仕事、「きつい仕事」というふうにレッテルを
貼って、やらない、と決めてる人がいるようです
いいえ、営業ほど、やりがいがあって、素晴らしい仕事は少ないと
思っています。


営業って、人にお願いをすることから、はじまると言っていい
ところがあります。「お願いをする」には、お願いする根拠
自分はなにをしようとしてる?、自分の所属する組織は
なにをしようとしてる、ということが、わかっていて、行動できる
ということが大事です


ごく最近、当社でも、はじめての社会人で、そのスタートが営業です
という人が、できました
私がその人にいった、営業のやることは、「人と仲良くなることです」
と言いました


ビジネスを通して、仲良くなる
これは、利害関係がからみます。だから、一定の割合の人は
仲良くなるということはあえて、さけて、淡々とやると
決めてる人もいるようです。
私の考えは、そうではなくて、損得はさておき、仲良くなることから
大事だと、思っています


ここ、しばらくはできてないのですが、社員の人を自宅に
呼ぶということを、します
自宅で話すというのは、たとえば、居酒屋で話すというのと
格段に、親近感が違うものです


営業をしていて、よかったと思うのは、「出会い」という
ことがあると思っています。出会いがあるから、ビジネスでも
プライベートでも、楽しいことが起こると思います


出会ったら、その人との縁をどのように、つなげていくか
ここが、人生の面白いところといっていいこと、また
そのつなげ方が、生き方、ともいえるのでしょうね

自然との対話

山種美術館に、奥田玄宋の展示を見ました
自然と、相対して、自然の美を表現しています
この自然と、相対するということは、多くの画家が
やっていると思います。風景であり、自然があるところ
いろんな画家が、向き合っています


おそらく奥田玄宋は、日本の四季ということを
意識しながら、自然を描いたと思います


大好きな画家、東山魁夷も自然を描いています
ここで、東山魁夷と奥田元宗のちがいを、うまく説明
できるほど、見識が自分に足りてないですが、昨日
奥田元宋の展示をみて、思ったことは、奥田はより色彩に
気持ちを傾けて描いたのかなということですかね


いいえ、東山魁夷だって、色彩は、となるのですが
どうも東山魁夷の色を使う傾向としては、同系色で
おさえたものに、仕上げていくという感覚があるように
思うのです
東山ブルーとか言われて、とりわけ「青」の表現が
多いのも、そう思わせるのかもしれません


さて、奥田元宋。その師は児玉希望という画家でした
そして、児玉希望は、河合玉堂に師事したということが
書いてありました


河合玉堂は、思い出せば、20代の前半、いまとは違って
絵をみるなんてことが、習慣になかったころ、親戚の叔父に
連れて行ってもらって、奥多摩の記念館に行ったことを
思い出します


絵を見慣れてなくても、奥多摩の自然だったり、どうも
横浜市金沢区もあったようですが、人の営みもちょっとある
河合玉堂の絵は、惹かれるものがあったと記憶します


河合玉堂は、繊細さという言葉が似合い、奥田はその
自然を、もう少し、こちらに、迫ってくるような色だったり
絵の題材自体で、表現してくれたと、言ったらいいかなと
思ったりします


一連の奥田の絵をみてきたあと、思ったのは、「生きる力」です
力強いと思いました。奥入瀬の秋という代表作がありますが
その色、流れの逞しさ。流れる音が聞こえるような、そうした
実在感。美しいというより、力強いと感じました


東山魁夷の世界は、静かさ、があります
奥田元宋の世界は、迫ってきます


日本という、自然豊かな国で、画家として、生きていく
ということは、こんなふうな、世界を生み出すのかな、と
東山魁夷も、奥田元宋も見せてくれています


美術館にて、ある作家の世界に浸るというのは
素晴らしい、時間です。その作家が絵にこめた思いに触れられた
そんなふうに思う時、自分の心がその世界に、入っていけたと
感じるとき、うれしくて、心がはずみます


東山魁夷は、風景との対話というタイトルで本を残しています
作家との対話が、少しできた、そんな気持ちになります

ワールドカフェ

先週は、社員が対面で集まって、会議をしました
そのとき、用いてみたのが、ワークショップのやり方のひとつ
「ワールドカフェ」です


ワールドカフェのはじまりは、ある長い会議、1日とか2日とか
かけてやる会議において、振り返りの時間をもったときに
コーヒーブレイクの時間が、一番、意見がでていたという
ことがでたことから、いっそのこと、カフェで話してるような
そういう時間を、内容にいれてしまおうという、発想ではじまったと
読みました


ワークショップは、「双方向」「リラックス」「学ぶ楽しみ」
といったことに、ポイントをおいた、プログラムと思っています
ワールドカフェは、なにかを、決めるとかではなく、可能な限り
意見交換を多くの人としていくことで、自分のなかの考えを
化学変化さえること、自分に気づきを促すことだと、思います


今回、ワールドカフェは、「新入社員研修の企画をした人の
振り返り」ということの観点をだしてみました


新入社員研修。これ、やってもらうと、だいたい講師側の
人に気づきがあって、いいなということが、起こる、いい仕事と
思っています


この感染症のあれこれで、「人と会う」という機会がとても減ってる
社員が多いなと感じました。人と会うということが減れば
人とやりとりする、あれこれが下手になるんだと思いました
そうです。サッカーで、パスをしあう、野球でキャッチボールを
する。こうした基本動作が、うまくなってこそ、試合でどう攻めるか
などにつながっていくと思うのですが、キャッチボール自体が
あやしいとなれば、これは、どう攻めるどころではありません


こうしたこと、どうしたらいいかというと、最終的には個人の
やっぱり意識を変えないととなります。意識を変えるのは?
やっぱり、ほしい、この時点で、生きていくうえで大事なことの
インプットを多くするということになると思います


「命を守る」というのは、もちろん最優先でやるべきことなのは
誰もが一致です。だから、人と会うのを減らす、だから会食とかは
可能な限り減らす。医療がひっ迫といったことまで起こったときには
必ずやる方向です。
だけど、そうしたことが続けば、人とやりとりすることは減り
つまり、人間として大事な学び、人を大切にするという気持ちが
すり減ってしまうのも、事実です


今の状況をみながら、いかに学びの機会を確保して、いかにそうした
人間として大切な場、大切な時間を確保していくか
これは、だれかがとか、行政がとか地域社会がとかいうまえに
個人が、自分がどうしようと、自分事で考えなければ、動かない
どうしようもないと、認識を持つことが必要です


ワールドカフェは、リラックス、そして意見を言う
それを聞くということで、ワークし、双方向のやりとりも
そこそこでていたと、見ます
こうした機会を、もう一度大事だなと、認識すること。そうしたことを
ひとつの、マイルストーンとして、自分のなかに、うん、やっぱり大事だと
刻んでほしい


学ぶということが、止まれば、いい仕事はできません
仕事をしていくということは、学びが欠かせないのです

原点

当社の原点、それは、増地徳則氏と、長澤が、人を育てる
ということで、気持ちが一致し、人を育てる場がある会社
として、位置付けたことにある、と、今、思います


私立高校の教師をしていたこともある、増地氏は人を育てる
人のいいところを、引き出すということに、心を傾けて時間を
使っていたと思います


そんなことから、増地氏が種をまき、長澤が水をやってる絵を
今度、50周年を迎えるときの、イメージのなかに、のせて
webサイトで公開しようと思っています


種が、水と、太陽と土があって、育つ。このこと、長澤は
河合隼雄先生の著作から、学びました。河合隼雄先生の著作には
人間に、育ちそこなったところがある、という考えをもつ
というのですね。なにか、生きていて、生きにくい人、それは
育ちそこなったところがある、として、そのことを、植物の
種に例えて、しまわれていた、種も、水と太陽と土があれば
育つように、人と人がいろいろすることを、なにかもらって
育つということができるのだと、続きます


今年の春。大学のときにいっしょに時間を過ごして、30年以上
教育に携わってきた、親しい人が、います。その人は大学で
教えています。春の卒業のとき、卒業生に、種から芽をだし
花を咲かせてくれるのを、見たいといった、はなむけの言葉を
言ってることを、FBでみて、河合隼雄先生の文章と重ねて
いました


人を育てるということは、植物を育てることに似てる、と思います
その点で、先に書いた、大学で教えてるYさんと私の考えは、重なる
点を見たのですね


人を育てるということ。あせりは禁物です。ですが、自分を含め
いかに、早く育てようとして、なにかしてしまっているか?
まさに植物に早く育てと言って、葉っぱをひっぱったりしてる
そんな理不尽かつ無意味なことを、してるってこと、実はあるんでは
ないでしょうか?


会社で仕事してもらう。こうした、知的かつ学びを伴わないと
なんともならない、そういうことをしてもらうのですから、育つ
ということは、自分自身の問題がとても、大きいのだと思うのです
まわりは、なにができるのか?
それは、水と太陽と土ということになるんじゃないでしょうか


よく観察して、必要なことは手が届くようにしておく
これだろうと、思います


話はもどって、原点、増地徳則氏とのこと
増地氏の素晴らしいことは、「傾聴」ということについて
本当に心を傾けてやっていた、ということだと思っています
人間は根源的に、人に伝えていきたい。なにかを表現したい
という気持ちをもっています。だから、聞くのです
全身を傾けて聞くのです


聞いて、聞いて、聞いて。
もっと伝えたくなる。あの人に伝えたくて、いろんなことを
感じて、表現したくなる


思い出すたび、自分、長澤は10代、20代と、増地徳則氏という
大切な人に出会えて、いっしょに仕事して、ほんとにいいな、
素晴らしかったなと、思うのです

いいチームになるために

会議することの、ひとつの理想は、参加した
人に学びがあり、そうだから、またこの集まった人と
いっしょになにかしたい、いいえ必ずしようと、思い
実際終わってから、行動に反映するなにかの合意が
できること、でしょうね


来年、私たちの会社は50周年を迎えます
いま、50年在籍した人はいません。だけど
20年、十数年と在籍してくれた人がいるなかで
このお祝いを、どう受け止めるか、ディスカッションを
してみました


一定の時間とお金をかけて、自分たちが、仲間と
いっしょにやりたいことをする。たとえば、おいしい
レストランで食事する。野外でのなにかしらの体験を
してみる。スポーツをしてみる


お互い知恵をしぼり、仲間を仲間として、認知し
それぞれ、刺激しあっていってほしいなと思います
実際、「生きる」ってそういうことだと、思います


素晴らしい料理を、素晴らしい空間で食事する
これ、見ようによっては「普通の」こと
だけど、意味をとらえようによっては「素晴らしい」
「二度とない」「思い出に残る」時間になるはず
なんです


あるチームが時間をかけて、ずっと続いてきて
ひとつのマイルストーンを迎えること
こういうことを、自分が、自分事で積極的に成果を
だして、そこに貢献すること。こういうことが
うまいことが、会社ということに、必要な要素だと
感じています


結構、入社して数年という社員もいるなかで、50年
というマイルストーンを感じなさいというのは、なかなか
想像力がたくさんいる、ハードルが高いこと、かも
しれないです


仕事をしていて、「若手とベテランが、しっかりタッグ組んで
成果だしてる」そういうことを、目指したいと思います
だけど、これ、お互い努力がいることだと、やろうとして
みれば、思うのです
一定の価値観を、瞬間的でもあわせていくということが
大事なわけですが、実際自分の価値観を、客観視したことが
ない、少なくとも頻繁にはない、ということが、ありそうです


「このことが大事だ」と、自分で感じることができること
もっといえば、そう自分に信じ込ませて、一定の時間行動すること
これば、別の人格の他人と、なにか成果をだすのには、必要と
いっていい、やり方ともいえると思うのです


なぜなら、ちがう人生を歩んできた人が、感じることは別なこと
だから、相手のやってること相手の言ってることに、素直に
共感、自分も大事だと思えれば素晴らしいですが、その割合って
基本は多くないでしょう。まして、世代がちがえば、どんどん
割合って減るといってもいいのだと思うのです


それを、一つの目的のために、いっとき相手の価値観を自分の
ものとして、動いてみる。これ、できるかできないかで
大きな、大きな差になっていくように思います

若い人へ

技術者でも、営業マンでもその人の姿勢がどうなのか
このことが、その人が評価されるかどうかの、大きな
ポイントということが、あります


技術者なら、いつも、なにかしら課題をもっていて、その
自分のなかでの、解決ということを、くりかえしてること
つまりは、現在進行形で、自分を高めてるとも言えるかなと
思います


営業マンなら、「成果主義」といっていい、自分のあげなければ
ならない数字に、常に気持ちをもっていて、あらゆることに
対して、その数字に結び付けようという、感覚があること
さらには、成果に結びつけるための軸を、しっかりもつこと


私が「姿勢」ということを、特に思うのは、実際自分がやっていて
姿勢以外に、なかなか相手にメリットを感じてもらうような
条件をだせなかった、ということが、あります


若い、まだいろんなこと、知識にしても、ノウハウにしても
足りない、人には、やっぱり姿勢こそ、大事と言いたくなります


今年の新入社員研修をやっていて、気づいたことのひとつ
それは、姿勢ということ、ちょっとやそっとじゃ「崩れない」
ということが大事と思ったのですね
新入社員のひとりが、自分のやる気は、高いのですというので
そのやる気、「理不尽」と思えることが、どんどん続いても
崩れないかいと、聞いてみました


一定の姿勢をもっていても、「いやにならない」「適当に
楽天的に考える」ということがないと、やっぱり
なかなか、姿勢を持ち続けるって、むずかしくないですか?


営業マンは、人に会うのが好きじゃないと、うまくいきません
人と会って、相手のとの間でお互いメリットだせることを
さがすということになります
そういう意味で、接点を作るということが、ひとつやらなくては
ならない、仕事といっていいでしょう
接点を作るということ。たとえば、お客様の要求はなにか
その見えてる要求の、その向こうにある、その会社のやろうと
してることはなにか?


若い人に、対して、ついつい、自分が最初担当者になったとき
言われたことを、話していました。やっぱりその立場に
ならないと、響かないことっていうのは多いものです


そして、自分がまだまだ経験、もなにも足りてないとき
言われたこと、そして、どう扱ってもらったのかそういう
ことが、とても、大事だから、そのことを、ベースに
話してる自分がいました


実際のところ、世の中も、その扱う、製品自体も、経済ほか
いろんな状況が変化してるのだから、自分の20代のときのアドバイス
生きるのか?
そういうこともあります
だけど、同じ立場での、ないかしら、やっぱり自分が経験していないと
見えてこない。そんなにすごい想像ができないもの、とも
言えるのではないでしょうかね


若い人についつい、多めのアドバイスなどを、いうのは
やっぱり、植物に対して、葉っぱや枝をひっぱって、もっと
大きくなれとやってるのに、近いこと。これを肝に命じたいですね