ちむどんどん

ちむどんどんも、終盤というところ
くりかえし、書かれてる、家族の物語。沖縄、山原で育った、4人兄弟
助け合い、自分のやりたいを、追っかけて生きる
暢子が、いろんな「接着剤」みたいに、なっていく
お店という場がそうなるというのは、素晴らしいことと
言っていいかもしれないです


まだ、前半、鶴見にでてきて、しばらくたったころ
片岡鶴太郎演じるところの、鶴見の沖縄の人の、まとめ役と
いっていい、三郎さんは、暢子のことを、母親に報告します
「みんな、暢子ちゃんが、がんばる姿を見ていたいんだよ」


人は生きる。できれば、主体的に自己実現というところに
近づく生き方ができればいいと思う
暢子は、料理の世界で、自分の店をもつという夢に向かう
歌子は、教師の立場で、給食の地産地消といった、ことに
目を向けて、自らその道をひらいていく


家族の応援ということが、いつもある
暢子の店が、開業して不振にあえいでいると、お母ちゃんと
歌子が、地元の料理を抱えてやってくる。にがなの白和え
にんじんしりしり、など、懐かしい料理を食べて、暢子は
元気にもなり、料理のヒントもうかぶ


結婚した和彦の母、静子も、暢子を応援する
「あなたは、私たちの世代ではいなかった、『冒険する
女の子』なの。そのあなたが、出産をひかえてる
まず、食べるの。食べられなくても食べるの。それも
戦いなのよ」


家族というのが、「こうあってほしい」そんな意図が
本を書いた、作者にあると、思えてくる、色んなシーン
7月のある物語は、お父ちゃんと、お母ちゃんが、結ばれることを
お母ちゃんが語る、「うーくぃ」の夜。その物語に感動した
暢子は、やっと自分の気持ちに正直に、和彦に結婚したいことを
告げる


賢秀は、清恵に対して、全然素直になれなかったのに
いままでのでたらめな、自分といっしょに、地道な生き方を
やったらいいと、その道をしめしてくれた、そのように思わせる
ように接してくれた、清恵に、プロポーズする
暢子の縁で出会った、三郎が、清恵には房子が、応援歌のように
「あなたは、こうなんじゃないの」とエールを送る


大事な人に、自分が精いっぱいの愛情を、表現する
たった、これだけなのに、なんて若い、ときの、人は遠回りしながら
でないと、うまくできないことか?


家族というのは、やっぱり基本は見守るということが
一番できること、そして、見守ってくれてるという、温かさが
どれだけ、人を元気にし、また、その絆をしっかり感じるから
生きててよかったということが、輝くのか?


ちむどんどん、は、生きていて、ちむどんどんする
そういうことを、こんなふうな物語で、感じたら素敵そういう
思いで、心に届く、いい感じです

 

技術者が育つ

技術者って、自分のことを、生かすということ
技術で自分の存在が、出せるってことが、大事でもあり
そして、意識できれば、とても充実した思いがもてる
そういうことが、いえると思います


昨日、服を作って、ひととき、服を作ることを自分の
仕事にできないかと、やっていたという人と話しました
「ものづくり」という点で、ソフトウェア技術者と共通点が
あるのが、少し面白かったということが、あります


ものづくり、するなら、おそらく相当な割合の人が、「自分なりの」
なにかを、そこに作りたいと思うのではないでしょうか
全く「ゼロから」のものづくり、というのは、そうそうはないと
いっていいのですね。例えば、お客様がいて、お客様の役にたつ
ため、要望があり、それを読み解いて、使っていただくための
ものを作るという、制限があるのは、普通です


家づくり、ということも、ソフトウェアを作ったりというときに
例にだしたりします
家であれば、たとえば、いくつの部屋がほしくて、窓はどんな
ふうなであるとか、それぞれの部屋の用途に合わせて、デザイン
していくということあります


そういう制限があっても、「自分なりの工夫」ということを
いれていきたい。そういう気持ちはとっても、大事なこと
だと思います
一方、人数がそれなりに参加するチームだったりということは
無理、無駄をなくすためにも、ルールを作るということが
欠かせません。そうなのですが、このルールを作っていく
ということと、上記にだした、自分なりの工夫をするということは
相反する、ものごとだと、言えると思います


技術者として、自分を活かすということ
どう活かすか、探し続ける。これはひとつ、やったほうがいい
こと、といっていいかなと思います


いい仕事が、いい人、いいプレイヤーだったり、マネージャを
作ります。なにが、いい仕事なのか?そうしたことを
ときには、仲間と議論して、探し続ける
そして、いい仕事をして、自分が成長する、そうしたロードマップを
もっているということ、とても大事なのでは、と、感じます


最近、おつきあいがはじまった、プロジェクトで、建設系の会社の
プロジェクトがあります。ひとついいなと思ったのは、
エンドユーザである、建設の会社のスタンスとして、ものづくり
してる、私たちに対しての、態度が決して、丸投げしないという
ことだ、とのこと。これは非常に大きいことです


システムを作っていくというのは、「作る側」だけではなかなか
うまくいくものではありません。「発注する側」がやるべきこと
そして、いっしょに課題を解決するということがあって、進んでいく
ということがありますね


おそらくこの建設系の会社は、そのあたりのことを、十分理解が
あるということがありそうです


技術者として、成長するということ、いい仕事をして
なにが、大事か、共有すること。
そうした、「あるべき姿」に近づいていく、そういうことを
増やしたいと思います

家庭料理

家で、人を自分で作った料理でもてなしたい
これは、料理が好きな人なら、きっと思う、楽しみといって
いいと思います


まず、メニューを考えるのが楽しいのです
何度かやってみて、自分が普段作ってる料理と、あまり違うと
失敗します
だから、普段作る料理に近いもので、もてなすことを、考えます


今日、わが社の新しい社員となる人を、自宅に呼んでいます
今、決めてる、メニューです

レタスとひじきのサラダ
なすの一夜漬け
トマト
お刺身
シウマイ
さつまいもの、炊き込みご飯


家庭料理、そのままだなと、自分でも思います
シウマイは、ずっと好きで、たとえば、出前までしたことが
あります
シウマイ、いくつか、楽しいことがあります。それは「包む料理」
だし、あたたかい、状態でだせるし、そして、ぱくっと食べられます


たべやすさ、というのも、人が慣れない、私の家に来たりして
食べるというときに、気にすることです
今回は、少人数ということもあり、自分で用意して
やりますが、何度か、新入社員の人が、我が家にきたときは
その新入社員の人に料理してもらうということをやりました


新入社員、料理が好きなわけではありません
あまりに、丸投げすると、ちょっと悪いので、料理ができる
主婦である、先輩社員がひとり、アシストします
それでも、食べやすくそして、作りやすいということで
おにぎりが、メイン、ということがあります


自分の自宅に、呼ぶということは、親しくなりたい
という気持ちを伝えたいということがあります
お店で、会食するというのも、いいといえばいいのですが
なかなか、私の思うとおりに、料理を用意してくれるところって
ありません
自分で作るということ、よりさらに楽しくというのは
なかなか、難しいですね


話は飛びます
ひととき、とても仲良くさせてもらった、家族ぐるみのおつきあい
だった、人、その家族がもつ、別荘で、仲間が集まり、料理して
楽しんだということがありました
自宅というのと、また別に楽しさということが、加わります
まず、自然のなかです。そして、皆さん、旅先で楽しむという
開放感のなか、います。料理好きな人も複数います
あの楽しさ、いつか、自分がやろうと思います


料理して、いっしょに食べる
これは、私がいま思う、仲良くなる、かなり素晴らしい方法です
この機会を、どう使うか、わくわくするし
こうして、会社を経営して、人といろんなことをやっていく
そうしたことが、輝いてみえる、そんなふうに、やっていける
わくわく感が、つながっていきます

あるべき姿

あるべき姿って、どんなだろう
実はあるべき姿、人それぞれじゃないか
という声も聞こえてきそうです
「人それぞれ」というのは、便利な言い方で
ついつい、あいまいになり、なにがあるべき姿
なのか?ということが、見えなくなると、感じます


私はオーナー会社、のオーナーで社長です
つまり、会社のなかでは、唯一の決定者といっていい
だけど、その決定、社員にいい決定ですか?


ここで、なにがいい決定の「いい」については
やっぱり、あるべき姿がどうなのか、ということに
つきつめていくと、行き当たるということが
あるのでは、ないでしょうか


会社って、ひとつには、もうけるしくみといっていい
自分の会社がもうかるように、なにかやって、自分の
待遇もあがっていくということがあれば、会社は
発展するし、自分も豊かになれる。それが、求めるべき
姿でしょう


営業と技術。営業がいなければ、そもそもの話がはじまらないし
困ったとき、チャンスのとき、どう行動するのかということを
開いていくのも、営業でしょう
ところが、その開いた道、というのを、実際歩くだとか
その道をどう使い、より栄えていくかということには
技術ということが、欠かせないでしょう


営業と技術が、お互い声をかけあい、お互いの理解を
いつも深めていて、互いに尊敬の気持ちがある。そういう
会社って、必ず発展すると思います


そのために、どうしたことが、必要か
まず第一は、人間を理解しよう、理解したいという気持ち
姿勢になると、感じます
人間、という観点にすれば、技術も営業も、人間なのです
ですが、やっぱり人って、役割にひっぱられるもの
自分の今の立場、役割でものを考えるものです


ゆえに、お互いの理解、お互い声をかけあって
尊敬もできる。それは「視点を変えて」考えることが
できるような、そうしたトレーニングをいつもするということが
大事だと、気が付きます


あるべき姿を考える。そして、ときには「生み出す」
まずは、発信することから、とも、言えそうです
日本人は、「自分は」「これが自分の進むこと」とか
他人との違いを強調して、アピールするのが下手といわれます
DNAからしてそうなのかもしれません。同じ言葉同じ民族が
90%超えるなかで、どちらかといえば、まずはいっしょだから
そのなかで、きめ細かくやろうという気持ちが、日本人の
なじみやすいところ。一方、多民族国家だったりすると
まずは、他人と自分は(大きく)ちがうことがスタートとなる


ですが、今は異常な世界
発信して、自分はこうです、自分はこう思っていますを
伝えていくということが、とても大事に、思えてきます

2022年秋における、交流の仕方

海外にいる、大切な人、仲間から日本に一時帰国する
という話を頂戴しました
こうして、状況が良ければ、仲間が集まり、旧交をあたためる
これはほんとうに、素敵な素晴らしいことだと思います
だけど、感染症のせいで、そうそう簡単にはいきません


このことだけ、思ってみても、いかに感染症のあれこれが
「異常な」状態を作り、私たちの、生活であり、心を痛めつけてるか
そういうことを、思います


そう書くと、やっぱり痛めつけられてる、だからといって
それで、やられっぱなしにはならないぞ、と、思うのです


自分自身でやってること。それは友人のつながる手段として
アナログですが、手紙を書くことです


SNSにしても、まして、メールにしても、なかなか心を
伝えるって、難しい。そして一番は電話だったりするのですが
相手がその話を受け取るタイミングとしていいかどうかを
無視して、連絡とるということになります


アナログで、手紙のいいところは、指名であなたに書きました
ということが、伝わること、そして相手の読みたいときに
読んでください、という柔軟性、ゆるさがある、ということに
なると思います


何人か、手紙をやりとりして、うれしいなという友人が
います。もしかしたら、面と向かってより、うまく伝わる
ということもあるかもしれません


さて、話はもどって、こうした感染症があるという場面で
どう人とつながるのか?オンラインでの会議、打合せ
そして、飲み会ですね
仲のいい、また、なにか課題とかっても、だいたい同じ方向で
解決しようと一致してる人と、やるのは、会議にしても、飲み会に
しても、だいたいできるということがわかってきました


一方、方向の定まらない状態で、やる会議にはやっぱり向かない
ということもありそうです
だいたい、人間関係がぎくしゃくしてるところで、オンラインの
会議をやると、なおさら、ぎくしゃくするということが
ありそうなのです


こんなふうに思うと、自分の好き嫌いを、どこかにまぜて、
仕事しちゃうということも、でてきそうで、いやらしいのです


日本人は、なにか人と仕事したり、人と関わることで、ずれとか
問題とか起こると、話し合って、ときには、飲んで、まあまあとか
いって、折り合えるところをみつけて、やっていくということが
うまかったとも、言えそうです


ところが、問題が起こっても、放置するということになっていませんか?
いままで、解決の仕方が、飲みにケーションに近いことやっていて
ぶつかりあってやるということを、やらなかったから?方法が
わからない?


いいえそんなに、単純でもないと思うのですが、
今、たいへんなときだから、できるときにやろうといった
あいまいさの中で、やってることも、多いように思えて
ちょっといやらしいですね


ビジネスを止めるということは、普通はできないので
なにか、対処療法でも、物事がまわるようにやってるということも
大事なことです

気づくこと

四角と丸。
□、〇
これだけ、なのですが、ひとつの思考のパターンというか
やり方があります
A4の紙。左下に、□、右上に〇
□に現状こうだな、こんなことがある、ということ
〇のなかに、「こうあるべきこと」「こんなふうになったらいいな」を
書くのです


その□と〇を→で結び、そこに「打ち手」を描くのですね


□に、社員が技術者になるための、努力が足らない
元気が足りない


〇に毎日、技術者になるための、なにかをしてる
自分の信じたことを、やる、だから、活性化してる


その差、→のところに、「気づくこと」「先輩からのはげまし」
「近い立場をみて、はっとする」


つまりは、気づくことじゃないかな?
気づいて、じゃあとなって行動する。これが若い人が、育っていく
一番、オーソドックスが、所だと思います
そして、そういうことが起こることがいいのだという、ことを
一致していて、そういうことを、感じてもらうように、環境を
作っていくということが、大事なことだと、思います


世の中が、喧しいです
感染症、気を付けなくては?
それはそうなのですが、ここは「やる」のですが
感染症のいろいろで、人に会わない、結果上記のような大事な
気づきが減ってる、ということが起こっています
ここを、なんとかしなくてはならない


人に会うのが減って、「しかたないね」じゃあ、困るのです
人が育たなければ、会社は成り立ちません
だから、育つように、気づくようになにかしないと、会社の存続の
危機と、思うこと。これは本当に切実なことです


人は、得られぬものに、心惹かれるのだ、ということがあると
思います。今、人に会えない、会うことが、貴重なこと
になってる。だから「会う」ということを、ほんとに、気を付けて
大事にやって、その時間を貴重なんだと、認識して、はじめる
これが、ひとつの処方箋かなと、感じるのです


今は、デジタル機器で、連絡をとるということができますね
だから、なにかのことがあれば、連絡はとれるのです
偶然に左右されずに、これこれ、といったことで、連絡は
とりやすい。
だけど、おそらくはデジタル機器、電話だって、少なくとも
携帯電話はなかった、といえば、偶然だったりというのは
本当に貴重なこと、として、とらえもしたし、実際そういう
気持ち、そういう出来事として、記憶にとどめるのが普通でした


今は「会う」ということが、貴重なことだと
まず、認識する、ということが、ある、そうなのです

料理の話

昨日料理をしていて、ふと、気が付いたこと
煮物の根菜、薄くきざんでいいんじゃないか


これは浅草、今半の佃煮をいただいたとき
入っていたレンコンの薄いことに、ちょっと
あれ?と思ったことです
もちろん、というかさすが、ブランドがあるだけに
軽いながら、いい感じの味でした


それで、昨日は、ごぼう、レンコン、ニンジンと
さつま揚げで、煮物を作りました
それぞれ、薄くスライスしたものを使いました


どうも「煮物」は、特に根菜は、薄くスライス
してしまうと、味がうまくしみこまないみたいな
そんな先入観があったのですね


実際、サトイモだったり、ある程度の大きさ
食べやすさを含み、大きさ大事ってことも
ある、でもレンコン、ごぼうははたしてそうか
薄くていいんじゃないか


煮物、であり、その他、野菜などの食材の
切り方って、実際大事だなと思います


つい、このまえも、ポテトグラタンの話をここにも
書きました。そう、あれも、じゃがいもそのものの
味を楽しむのですが、切り方はごく薄くする


特にじゃがいも、とおもうと「ほくほく」といった
感じで、ある程度の大きさが、と思ったりする
のですが、ポテトグラタンの今作るレシピに出会って
目から鱗でした


トマト、かなり好きな野菜です
今、切り方で、気になってることがあります
トマト、特に新鮮なものは、へたの反対側をよくみると
うすい、オレンジ?というか、すじがみえるのですよ
ある、料理本にこのすじに沿って、包丁をいれると
なかのしるがでない、うまくきれると、ありました
それを知ってから、実践するのですが、ときにはずしますが
あ、なるほど、トマトのおいしい、しるがでないで切れる
ということがあります


料理はやればやるだけ、いい感じになっていきます
いいえ、なんでもそうかもしれません
食材に多くふれて、おいしい料理を食べて、それを
まねしてみる。
実際、ビジネスでもプライベートでも、内容のあるものだったら
その大事な内容にふれて、ときに人なら、よく話をする、理解を
深める、物だったら、使ってみるなどして、お手本と思える
ものがあったら、教えてもらい、だんだん、それに近づくように
やってみる


料理が好きな人と、話すと楽しいと、言いました
それは、情報交換ということから、はじまり、その人の発想、また
誰かを喜ばせたいという気持ちが、伴ってることが多いですから
そうした、楽しい話題といっしょに、その人自身のいろいろが
伝わってくるということが、よくあることです


できれば、話してる相手に、私の何かが伝わって、いいなと
思ってくれるような、そんなふうな、存在になっていたいと
思うのでした