鉄器

司馬遼太郎が、街道をゆくというエッセイのなかで
あくまで、自分の妄想だがと前置きして
日本における、平安時代鎌倉時代、室町、戦国そして
江戸期という流れのなかで
鉄があって、鉄器が豊富だったこと
これに比して、朝鮮半島では、鉄が少なくて
結果、農業生産力も差がついていって、日本でいれば
武士のような階級が育ったところが
朝鮮は育っていないなど分析をしてる
そのあたりが李氏朝鮮が長く続いた理由のひとつだと
いってる


例えば、鉄器が豊富だと、家のたてかたもちがう
そして、農具も発達していく
と解説している
そして、鉄器が豊富にできたのは、日本の湿潤な気候が
木々をはぐくみ、当時の砂鉄から鉄器を作るのに
木炭を燃やすのに膨大な木が必要だったのを
支えたのだという
朝鮮半島はかわいている、したがって、日本のように木が
育たない、砂鉄を鉄器にするということが
ままならない


この事情は中国大陸でもそうだという
例えば、東山魁夷が日本の美しさは、海と山だと
山に緑が多いことだといってるが、上記の文章と
符号することではある


一方、永井路子鎌倉時代前後の武士の姿をこう書く
京都の公家と、在野の武士の姿は
いってみれば、宗主国の領主と、植民地の人民だ
武士は、搾取されていたのを、自分たちが開墾した土地から
得たものは自分たちが使いたいといって
主張して、鎌倉幕府を作ったといってる


こうした、武士が発達するには、農業生産高が一定の水準を
超えてなければならない
そのことを可能にしたのが、鉄器なのだと
日本人の精神性を読み解く、エッセイに引き込まれてる