人間として恥ずかしくないこと

2年ほどまえだろうか
親しくしていただいている取引先の役員のかたと
話していて、「なにか、決めなくてはならないときに
気をつけることはなんですか」
「人間として恥ずかしいことをしてないかということを、気にしてます」
そういうやりとりをした


人間として恥ずかしくないこと
それは大変なことだなと、改めて思う


最近、「評価のしかた、ノウハウ」というコンセプトの
本を読んで、評価者がやってはいけないこと
おちいりやすいあやまりとして
ハロー効果というのをあげていた
ハロー、お日様やお月様がかさをかぶって実態より大きくみえること
評価において、ひとつよいことがあると、すべてよいように思うこと
悪いこともしかり
「レッテル」をはるということにもつながる


これは、とっても「人間にとって恥ずかしいことだ」
評価するということが、難しいことだと感じているなら
なおさらかもしれない


それは、実態を見るということをおろそかにしてる
ということだからだ
人のそのまま、そのものをみないで
自分の思い込みで人を評価してしまう
それは、恥ずかしいこと、してはならないことだろう


そうしたことから、物事をクローズアップすると
会社で評価などという、少しおおげさな場面でなくても
人と話していて、あ、この人はこういうひとかなどと
ある意味「評価してる」ことに気が付く
もっと、フラットなというか、思い込みやレッテルをはらない
状態で、人と接したいと思いながら
実際のところ、いろんな場面、相手と相対していて
「こんなこと考えてるのでは?」
「きっとこんな意見もってるな」
もっと失礼な話
「このことは相手は理解できないな」
などと、思いながら話していることがあるのです


人間は、相手に失礼にならないようにとか
ときと場合によっては自分の身を守るために
相手がどんなか、想像したり察知したりすることは
重要なのですが
不必要なまでに、相手にレッテルをはって見ていることが
あることに気が付きます


人間にとって、恥ずかしくないこと
そう生きることは、実際はつきつめていくと
なかなか、です