自転車に乗ってどこまでも

小学生のころとか、中学生でも
自転車にのって、どこまでもいくというのは
その頃の自分にとっては、冒険であり、自分との対話の時間であり
気持ちを澄んだ状態にする、大切なときだったと振り返る


社員のひとりが自転車を買って、横浜から東京駅周辺までいってみたという
その気持ちの何割かは、少年の頃の私といっしょかなぁと思ったりする
自転車で、自分の足でどこまでもいきたい。歩いているのではなくて
いける気がする。そんな爽快感、わくわく感。


自転車、去年信州の安曇野で乗った。安曇野の田んぼがあって、
ときおり、常念岳がみえかくれしていて、道祖神がみまもるなか
風をきって走るのは、とても気持ちよかった。でも坂はきつかった
自転車から見える風景は歩くのとも、車のなかからともちがう
ゆっくりみて、つかれたら、とまって汗をぬぐって、いつもと
ちがう時間の流れがあった


ときどき、生きてるってことは、歩いて、見ての繰り返しなのかなと
思ったりする
歩いて、自分の足で道を確かめて、間違えたり、思わぬ発見があったりして
ときどき、立ち止まり自分のやってることを見てみる
それは、あー、繰り返しだなと思うこともあるのでしょうが
いいえ、まるっきり繰り返しなんてないと思うのです
ときどき、よく似たことはあるのでしょうが、まわりにいる人も
ちがえば、環境も違うのです
だから、まるっきり同じなんてことはない
そのときを最高に輝くように、生きるのが最高です


自転車に乗って、どこまでもという、ミニ冒険にしても
その日、やったことは、もちろん同じことなんて、二度と起こらないのです
季節も、そのときの自分の体調も、自分をとりまく、人間模様も
すべて変化するんです
ただ、どこまでも行ってやろうという、気持ちの何割かは
少年の頃のまま、継続していてほしいなんて思ったりします


自転車、いつか、また乗って
日常を離れて、気持ちを澄んだ状態にできる、いいなぁ