宴のうた

ひととき、短歌などに、心を動かしているときが
あった
百人一首は、短歌のうちから、選び抜かれて古典としてあるものを
百首読んでいて、これこそ、日本の文化のすばらしさの粋だということを
新聞のコラムで読んだ


とても有名な、額田王


あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る


この歌は、永井路子が小説「あかねさす」のなかで
宴のうたではないかという見解を、キャラクターに
言わせている
それは、10代とかの真正面から恋にいきてるようなことでなく
30代とか40代になって、いろんな意味で
人生の経験をして、心に余裕のある男女が
宴で、ポーズも含めて、贈った歌ではないかということ
こうした見解といっていい、永井の本のなかの
トピックスを20代前半で最初読んだ私は
へー、という感じで、そんな余裕の世界というのは
あこがれもあるが、いまの自分はちがうなどと変に
つっぱっていた


この間、ブログにも書いたのだが
一定期間思い出をわけあった、仲のいい人たちと
再会して、宴会などをやるのは、とても楽しい
過去にもどっていって、過去に閉じこもるなんてことではなく
楽しいことを、再び味わいなおすということが
とても、今日、明日につながっていくという感じが
する


そのように、若き日のことを、いい感じで思い出してる
それが宴のなかで、なんてこともとてもいい
まわりも「笑顔」だ
とても仲のいい人から、10代、20代で自分がいいと思うような
恋ができたということは、人生の宝だといっていたが
そうしたなか、このような
おおらかな、明るい愛情表現の歌があったりしたら
本当に、思い出が、楽しいことがキラキラ輝くようじゃないか


若いときの一途さって、それはそれでいいけれど
いろんな意味で味わい深さということがわかりだした
僕らの世代が、かみ締める「よさ」「ほんものの味わい」という
ような世界が、まだまだ楽しめるのだと
明るい気持ちになってきます
わくわくしてきます