スケッチ

スケッチは
みたものから、自分がいいなと思う線を選んでかきつづるという
きわめて知的な作業だと、洲之内徹がエッセイのなかでいう
哲学者がその著書にて、語感という言葉も超越したような
感覚、詩人といってもいいかもしれない、そうした感覚をもって
言葉を選び出し、つづるのに似てるという話がでてる


スケッチすること
大学時代の仲間のひとりに、ぜんぜん描きあがった絵のよしあしなど
きにしない、スケッチしてる行為自体に意味があって
その時間が自分を高めるのだという
川村美術館で、佐藤忠良さんのスケッチが展示されていて
その本人のコメントにも、線を描き出し、その線にふれるというか
感じるためで、絵のできは、関係ないというようなことが
かかれていたように思う


そんなことがあったからというか
スケッチ、山にいったときに何度かしてみる
それは、できあがったのは、ほんとに「絵」とはいえないような
はずかしさなのだが
ただ、スケッチすると、よく「見る」のだ
例えば、3年ほどまえに、浅間山が見える部屋に宿をとり
ついてから時間があったので部屋から浅間山をスケッチした
ご存知のかたは多いかもしれないが、浅間山(もっとも浅間山に限ったこと
ではないかもしれない)はちょっと見る位置がかわると
結構、姿がかわるのだ
スケッチすることで、よく見た
山の重なりを感じた


そこで山をみてから、山を眺めるにはちょっと離れた別の山の頂とか
高台にいくことということに気が付いた
そして、山が好きにまたなっていく
なにかを好きになるのは、まずやっぱりよく見ることからかも
しれないですね