正しいことを伝える

大学時代の恩師に
「本当が好き」ということを生き方として
通すなら、それはそれだ
ただしんどいはずだぞというような


日本人は、うそも方便というやりかたをしがちだ
本当のこと、正しいことを伝えるのは、なかなかしんどい


たばこをすってる人に、会うたびに、たばこは健康に悪いから
やめなさいという。これは正しいといえるかもしれないけど
やっぱり、会うたびに言うのはしんどいものです


楽器を演奏して、その出来栄えについて、そのまま
例えば、リズムが狂ったねとか、音をはずしたねとか
そんなことはいわずに、たとえば拙い演奏だったとしても
「聞いてると、気持ちがなごむねぇ」とか
「なんか、懐かしい感じがするよね」とか
ほんわりと、感想をいうのが、場をしらけさせないこつ
である


本当が好き、それはある面すばらしいことかも
しれない。シンプルな考えだから
でもね、いつも本当が好きというのは、どうかな
上の楽器の話のように、ある程度語彙をふやしておくという
ことは、大人のたしなみかもしれない
楽器だけでなく、いろんなもの、人が趣味でやってるものって
なかなか、その表現が相手を感動させるなんて域にいくのは
並大抵のことではない。ただ、続けているということが
とても大事なので、
楽器の演奏であれば
「楽器が喜んでいる感じがする」とか
「こちらも、思わず足でステップふんだよ」
とかいろいろ、いうって大事なんですよ


このごろ、日本人って、いいえ、おそらくある程度の時代
までの日本人、そして日本の社会ってなんて、すばらしいのだろう
って思うことがある
ある面、幻想かもしれない
人々が平等で、みんながだんだん、豊かになれるって信じられた
夢のような世界
いま、だんだん厳しくなる中、そういうことがあったと
信じたいということが本音
本当にあったかということより、なにが大事で
なにがいま、こわれつつあるのか意識できれば、そのことが
生きてる方向をみつけるヒントになるか?