大人の友情

もう4,5年もたつだろうか
mixiのスタートのときの盛り上がりって
ちょっと、「おおおっ」って感じだったのを
思い出す


私はいま47歳だけど、少しうえ、5年前に
いまの私の年齢とかその近辺が多いのだけど
mixiで次から次へつながっていったことがある
SNS自体が盛り上がりはじめた頃ということもある
そして、年齢がちょうど子育ての、片時も子どもの
そばを離れられないという時期から
ちょっと変わるという時期でもあるのでしょう


私のmixiでのひろがりの多くは、高校時代の仲間が
中心でありますが、そんななかで「大人の友情」なりを
感じた
大人の友情というと、なにかちょっとは考えてるように
思うけど、実際、実質は例えば10代のころのいろいろと
変わらない部分も多いなと感じた
もちろん、少しはなにか成長してるところもあるんですけどね
香山リカという人の「10代のときに考えておくこと」という本に
ほんとに10代って大事で、いろんなことを感じて考えていた
という指摘があるのだけど、「友情」とか「おつきあい」の
基本は、やはり10代にできるのかもしれません


いま、河合隼雄の「大人の友情」という本を読んで
友人の自殺という記述が目に留まる
河合本人の、友人が自殺したというときに、一生の
仕事にしようとしていた、「臨床心理学」を離れようかまで
思ったという。それを救ったのは、「親しいからこそ、友人の
サインがわからないのだよ」と先輩から教えてもらい、そのことで
思いとどまることができたという記述がある


10代で、感じたことを、ある意味一度覚えた道路標識がこうだから
この判断はこうだと、続ける。実際多くの割合の人がそうだと
思うし、実際自分もそういうところがたくさんある
ずっとずっと、考え続けて、デリケートな問題であれば、いま
できる判断を本当に考え続けて、試行錯誤する
そのことは、ある意味しんどい。でもね
そうしなければ、やっぱり生き続けてきた、価値が減るように
思うじゃないか


河合は本のなかで書く。親しい人とのやりとりを続けていて
少しずつ「死ぬ」ということが、前は相当怖かったということが
その怖さの度合いが減ってきた。うーん
そんな気持ちには程遠いのだけど、実際去年の暮れに
喪中はがきが増えたことなどで、少し、思いがいくのでした