彼岸にすること

藤枝静雄という方の短編
伊藤玄二郎の風のかたみのなかでしか読んでなくて
本編は知らないのだけど、印象に残ってる


ある男が、生まれ育った町にもどってくる
バスに乗り、まるで墓参りの様子なのだが
実は男はもう死んでいて、墓にはいるのが目的である
かろうとをあげて、墓のなかにはいると、生前たくさん迷惑を
かけた肉親がなくなったそのときの年齢で待っていて
いっしょに、村祭りにでかけたりする・・・


彼岸には墓参りする
上のストーリィをこのまえ、私の父親に話してみた
そんなイメージを膨らませると、できるだけ
親戚と顔をあわせて、年に複数回いっしょに墓参りなど
していると、いくらか、虹をわたっていくことの怖さも
やわらぐ感じがすると。
父は微笑してなにもいわなかった


ある年齢をへて、おそらく自分の親を見送った後ということが
多いのだろうか、墓参りということに対しての
思いが深くなるように感じる
できれば物心つくころから、墓参りももちろん、たとえば
そういう機会があれば、葬儀のときなどもいっしょにいることは
肉親の別れというむごさもあるが、人間の生き方を学ぶということで
とても大事だと感じるようになった


今年の墓参は雨のなかだった
足がすこしずつ弱った母をエスコートした
ひさしぶりに訪れた墓に、母はおだやかな顔をしていた
もしかしたら、自分が旅立った後、どんなふうに墓参りを
してくれるのかと、イメージしていたのかもしれない


先月に法事があって、めったに顔をあわせない親戚と
語ることができた。そうしたことも大事にしていきたいと
自然に思うようになった。あまり話したことのないイトコや
ハトコ?またイトコか?話してみるのも、実際悪くなかった
楽しかった


彼岸は、結びつけてくれたそのおおもとの縁を作って生きた人を
語って、残された僕らが縁をふかめる、機会なのかも
しれない