なんでも学校

灰谷健次郎の「天の瞳」という小説のなかで
主人公らが主催する、土曜日の有志の学校
「なんでも学校」


たとえば、割烹料理の板前さん
ヒラメの刺身を小学生、中学生といっしょに
作る
やってみれば、わかるが、はじめて魚をさばく
なんていう人に刺身というのは難易度が高い
それを、なにか強制するのではなく
たのしく、そしてためになるように
導く
たとえば、皮をひくときは、頭でリズムをとりまーす
なんていって、やってみせて、できちゃう子も
でる


たとえば、私がなんでも学校の先生をおおせつかったら
はたして、どんな授業をしたらいいだろう
話し合いのしかたをやるか
いつか読んだ本のようにいわば、「世の中科」みたいな
お店の経営というような、シュミレーションを
するか
実際のところ、私だから、イキイキとたとえば、小学生、
中学生に教えられるということが、思いつかないことに
気が付く
ちょっとさみしい


社会人になって24年、ずっとやってきたのは
「営業」のはずで、そのことを子供たちに伝える
いい方法というのは、なかなかむずかしいなと思ったりする
それは、さきに書いた題材といったものがみつからない
という問題より、やっぱり自分自身の内面の問題だなと
思ったりする


お客様に買う気になってもらうような
セールストークといったことを、ほんとに
内面から充実していれば、わかるように指導が
できるのかなと思ったりもする


「できないな」と思うのは、結局のところ
自分のなかに「迷い」とか
「とまどい」があるからなのではないかと
自問自答してみる
ふん、そうなのだ。実際考え続けることに
意味と価値があるのだろうと思いながら・・・