7月8月はお盆があって
虹をわたっていった人が現世にきているという
話を聞く


灰谷健次郎が、天の瞳のなかで主人公の祖父が主人公に
向かって、記憶という大事な能力は、肉体が滅んでも
人のなかに、語られた言葉、表情などをいかしていくためにある
仕事は、何百年という時間のなかで何代にもわたって
伝えられてきた技を伝えていくことが重要なんだから


盆に、自分に語ってくれた、親しく語らいができたような
人を思い出して、酒でも飲むのがいい時間だと
感じる
語る時間というのが、大事
ある人を介して、知り合った人と語る
語ることはなんて大事


このブログに絵の話を書いてるが
実際のところ、自分がとても好きだと思う絵のことを
語るのは、簡単じゃない
東山魁夷の絵がとてもいいと思った
「緑潤う」「年の暮」といった季節を感じさせてくれる
色彩、構図は東山魁夷ならではの洗練されたもの
やっぱり、絵は感じるもので語るにはなかなか大変


絵のことでなにか話くらいできないかと思ったときに
洲之内徹の口調がとてもよくて、まねできたらいいなと
思った。それは「好きだ」ということをはっきり
単純にいうということなのだけど


語るという行為も、外側のこういうものをみたとか、作業した
とかそんなことは、どうってことはないのでしょう
自分が相手が、なにかをしたり、見たり、するのが
好きだというなら、どんなに好きかを一心に語っていい
それなら、聞いていて聴きごたえがある


虹を渡った人を思い出すなら
その人が生きたことで、前向きに生きた、自分も
そうしたいなというようなことを思い出して
自分のふんどしをしめなおすことがしたいとこの前書いた
それはそうなのだけど
まず、自分の感じる心を磨いて、研ぎ澄まして
大事なことを、聞き漏らさない、受取損なわない
そういう生き方をしてこそなのだ
大事な一瞬を、感じる、自分を磨き続けたい