800年

運慶作 阿弥陀如来像を
伊豆の願成就院に見に行く


長いときを経て、人々から拝み、願いを聞いてきた仏像だ
かなり好きなコミックで「あずみ」というのがある
主人公のあずみが、憧れる、仏師になりたいという青年はいう
「自分が作ったものが、長いときを経て人々にみてもらい
つづける。そしてできれば、みてもらった人になにかを
感じてもらえる。そんなふうなことができる
仕事がしたい」
なんて、高い、すがすがしい心意気だろうと思った


いま、800年の時をへだてて、阿弥陀如来はまなざしを私に送る
慈悲、やさしさ
威厳、きびしさ
いわば、母性と父性といっていいか
人間、人を指導するのなら、ときに母性をときに父性を
意識することが必要と、河合隼雄先生はいう
もちろん、このふたつを完璧にあわせもつなんていうのは
人間はありえないというか、そうなったら人間じゃない
と付け加えてくれている


阿弥陀如来は、人々の苦しみ、悲しみ、いろいろな思いを
受け止めて救ってくださるという
800年まえに、運慶はどんな思いを込めて、この仏像を彫ったのだろう
その思いは?いまとなっては知る由もないのだが
800年、人々の願いを聞き続けた、仏様にはちがいない


運慶さんの30代の作品と聞いた
いわば、血気さかんな、これから上をめざすぞという
意欲が表にでてるころじゃないか
東大寺金剛力士像は50代の作品
もちろん、寺の位置づけもきっと仕事としての
位置づけもちがうでしょう
今回見た、仏像がとにかくいいんだ
それだけでいい


新しい時代に、身を投じて
自分のすべてをかけてやった仕事なんだって
ことでしょう
そうした若さをいとおしく思い
また、時を経た仏様をずっとながめていた