つながること

5年ほどまえだろうか
四国を旅した


それは金毘羅様が、175年ぶりに御開帳をしたという
伊藤若冲の絵をみたいという話から、行くことにした
その見たいといったのは、かみさんなのだが
自分でも、やっぱり積極的に楽しみたいという
気持ちが起こった


そこで、平家物語で、有名な屋島という場所のほど近くに
イサム・ノグチなる彫刻家のアトリエをそのまま展示してある
ギャラリーがあるということを聞いて
作品をみるまえに、イサム・ノグチのひととなりを
伝記を読んで、知ってからいくことにした


作品を見るまえに、その作家のあれこれを知るのは
人によってはしたくないと思うかもしれない
つまり、その作品をあるフィルターをとおして
見ることになるからだ
それはそうなのだが、より自分の気持ちを集中させて、作品を
見てみようと思って、そのときは伝記を読んだ


今年、白洲正子という人が見出したというか
本のなかで紹介して、注目をあつめたものを世田谷美術館
特集して展示していた
その冒頭は、那智の滝をご神体とした、熊野の神々で
そのアプローチがとてもよくて
那智の滝を見たくなった


こうなると、白洲正子の視点ということをもっと感じてみたくて
「かくれ里」という代表的なエッセイを読むことにする
平家や、僧侶、そして皇族で、世を忍んで暮らしたという
人がいて、昭和のときまでその高貴なかたをまつった
神社がときに何百年というときをへだてて、村の人から
守られてる
そんな、人がかくれていたというところを探して
ときに、寄り道からふっとみつけて、歩くのが好きだという


20歳のころから、明日香が好きで、いわば山をへだてて隣に
ある吉野にも惹かれていた。明日香、吉野とくれば万葉集
ふるさとで、和歌にも興味はわいたのだが、全然不勉強な自分は
断片的なところどころしか、頭に入らなくて、和歌にしたしむとか
楽しむという状態にとてもいかれず、はがゆく思っていた


白洲の文章は、古いことを書いているので、そのなかで皇子が
歌ったうたとか、柿野本人麻呂のうたとかがでてきて
まだ楽しめないが、少しずつ親しんでる感じがしてうれしい
でてくる地名とか人名には、なかなか覚えがなくて
ここでも不勉強な自分がきわだってしまって、ああとなるのだが
おそらく、その文章を書くというときの視点が
平易であり、それでいて、なかなか小気味いい
リズムやスパイスがあって、読んでいてするすると
引き込まれる


冒頭に書いた四国のイサム・ノグチのアプローチとは
逆に、白洲が(作ったものではないが)感じたものを
さきにみて、文章をたどっていてそれはそれで
もちろん楽しい
そして、楽しいから、やはり白洲の視点を追って
その場所に行きたくなってる