格差について

学生のときに、ゼミの先生が
ゆとり教育という考え方について
これは、階級社会を作ると考えるという
話をされていた


教育において、授業の時間を減らし、教える量を
少なくすること。ゆとりをもたすこと
それは、優秀なひとにぎりの人と、そうでない人を
わけるようになるという


いま新聞にて、ニューヨークからはじまった、格差に対して
抗議するというデモが、世界中にひろがるという
格差は現実としてあるのだ
こうしたことを思うときに、日本の高度成長期といわれた
昭和30年代、40年代を中心とした時代は、おそらく
世界でもまれにみる、平等な、みんなが成長を信じられる
時代だったのだろう


思い出してみると、平等だった。貧しかった
みんなが貧しかったから、生きてくのがなんというか
手作りだった。いまはなんでもお金が先のすすめかたに
なってしまっているけど、貧しいからだけど
手作りのよさがあった


少し前に、知り合いから聞いた。いまの高校生はいきてる間ずっと
日本は経済成長をしていない。リーマンショックの前までの統計だと
思うけど、17年間で平均の経済成長率は1%未満だという
いわば、明日よくなるということが信じられない世代なのでは
ないかといっていた
夢をたくさんもつはずの10代の人が、明日の成長、世の中が
よくなるということを信じられない
これは大きなインパクトをもって、記憶に残った


若い世代に期待するのは、イキイキとがんがん生きて
いままでの世代にできなかった、素晴らしいことをどんどん
してほしい
そうなのに、いろいろやっても、明日、来年とよくなることは
ないなんてことが前提だとしたら
どうなるんだろう
多くの人が、あまりにお金が優先という考え方に
傾きすぎた結果だとか
これから成長ができる分野を掘り起こすのだとか
なにか、処方箋をとは思うけど、容易には
みつからないかとも思う


ひとつの望みは、何人か私が知ってる20代とかの人に
ほんとうに、いきいきとそして力強く、生きてるなーと
思う人がいる
そうした人の活躍を聞くと、こちらも気合がはいるし
もっともっと高く、大きく成長してほしいと思う
格差という、なにか破滅的な考えにとらわれず
やれば、できる
こうすれば、社会もよくなると
感じられ、信じられるなにかを求めて生きたい