自分の親が歳をとって

自分の親が歳をとって
いろんなこと
たとえば、重いものをもつとか
立ち仕事をするとか
そういうことが、しんどいのだなと
みてとって、できるときはかわってやりたいと
感じる


今日、日経の春秋には皇后さまが、少ししんどい
年齢にきていると文書で書いたと紹介している
歳をとれば、しんどくなっていく
そんなことは、子供のころから知っていたこと
でも、心であーしんどいのだなと感じるのは
親がそうなってからなのだろう


知ってることと、あーそうだなと
すとんと、心までそのことが届くこと、深く感じることは
ちがう
深く感じることができれば、その感じたことを
ふまえた、もしくは、生かした行動ができるのだと
思う


春秋で、皇室のかたらしくない、言葉づかいをされてる
ことが、かえって自分たちの気持ちに響くという趣旨の
ことを書いている
こうした言葉づかいで、心に響くということは
素晴らしい


生きているのだから、人の役に立ちたい
それはたとえば、組織のなかで誰かのために
と思ったり、そうするように人に指示したりしてる
一方で、やっぱり役に立つのは、社会的に弱者である
高齢の方などに、自然にもっていたい気持ちだろう


日常は、スピードが求められるとか
競争だとかの名のもとに、思いやりとか配慮ということを
忘れてすごしてることがいかに多いことか
それは、どうなのかと思いながら
自分だけ、競争からはずれるのがこわいという理由にして
なかなか、忘れてることがとっても多い
そうして、ぎすぎすした
満員電車において、自分だけよければ他人が迷惑しようと
かまわないといった行動をとってるような具合が
日常さまざまな場面で、おこるのだろう


生きてるのだから、人の役にたちたい
そのことを、最初の自分の気持ちに必ず
忘れないように生きたい
そして、見えてくるものは
人間にとって素晴らしいものと感じれば
どんどん、やる
必ずやる