法事の休日

このブログに何度か
法事というのは、このところ大事と
思うようになりましたと書いてます


河合隼雄の「カウンセリングを語る」には
「死ぬ準備」をはじめた人という一節がある
いわゆる嫁、姑の問題で、嫁の悪口をいいにくる人
そうした人と会いながら、河合は「若い」ということだけで
腹がたつと紹介してる


若いということで腹がたつ
これは、実はぜんぜんわからなかったのです
老いていく自分ということを意識しはじめて
若い人が、やたら鼻っ柱が強く、なにか自分より
勢いがよくて、仕事もできたりすると
どうも、若いということで腹がたつ
思っているうちに、「だいたい最近は長幼の序なんて
どこへやらだ」と自分たちがさんざん言われてきたことを
ふっと思ったりする


そうしたことを、なにかのおりにちょくちょくとはいわない
たまに、そうたまに少し感じるようになった
そんな年齢になって、やっぱり親戚の年長の人も
もちろん若い人とも、できるだけ顔をあわすことが
大事だなーって思うことが多い
「死んだときが少しこわくなくなる」なんて
書いてるけど
実際、プライベードで年齢差がある人
そして、親戚ということだからだけど、年齢差があってなおかつ
自分に関心を持ってくれる人と話すのは、大事だと
感じる


まず、お互いの健康を確かめ合い、顔をあわすということで
笑顔で過ごせる
そして、それぞれ、元気に今後も暮らしていくということを
確認しあう
コミュニティは、ある面なくなっているのだけど
できるところから、つながりを作ることがとっても
大事だなと感じる


休日に、親戚と会って過ごす
そうしたことは、やっぱりとっても大事だと
感じた昨日でした