自分を変えるということ

人間ってなかなか簡単に変わるものではない
それは、実際人を指導していて、感じること
でも
変わることはありうるのです


このまえ、社員の評価の会議があって
なんどかつぶやいた
人間は神様が作ったんだ。神様が作ったものに対して
たかだか同じ人間である、私たちができることって
ほんのわずかなんだ
でも、わずかかもしれないけど、はまれば
大変すばらしく、いいほうに人にかかわり、成長してもらえる場に
添えることがある


神様が作った
そのいいかたは、ともすれば「逃げ」のようでもある
いいえ、そんなつもりはさらさらない
ただ、どうかするとそう聞こえるのはわかる
人間ができることがたかだか、しれてるってことは
知っていよう
でも、それこそできることが少しだから
やれることはすべてやろう


たとえば、人を好きになること
このことも、なんかしら「ショック」に似たことが
必要という見方がある
ドキっとするようなことがあって
好きになるのだと
いわば、事件かな


これは恋愛に限らない
自分のやってることに、ドキっとすることは大事だ
あ、このままでいいのかな
たとえば自分と同じくらいの世代、経験の人の仕事ぶりに
ドキっとする
そうしたことがなくてはいけない
すべては、自分の誇りにかけて
自分が自分に対して、恥じない生き方をしてるのかという
意識をしゃんと持っていて


ドキっとしたなら、そのあとどうするかで
生き方につながる
少しでも、タイムラグがあっても
自分ができることをなんらか、変える
改善して、ちょっとずつでもましな一日を
過ごせるように、自分に相対するのか
なんとなく過ごしてしまうのか


そして、やっぱり生きることに
少しでも意味を見いだせるかどうかというのは
誰か本人に対して、期待し続けるひとがいるかどうか
そしてその人の真剣さにかかってるように思う