アートを楽しむ

人が何か楽しそうにやってるなと
思ったら、覗いてみたい。そしてそれが
よく合う、ずっとつきあっていく人なら
そして、その楽しそうなことが続いてるなら
いっしょに楽しめるようになりたい


私のつれあいは、美術が好きだ
中学生から、ずっとそうだ
結婚するまえ、デートが美術館だったりして
まあ、相手を理解するのにはいいかとか
ぐらいで、ほんのおつきあいで
美術館に行っていた
それは、ついこの間くらいまでそうだったと思う
うーん10年まえくらいかな


つれあいが、ずっと絵が好き
それも筋金入りといっていいほど「好き」
たとえば、一番?といってもいいほど好きな
伊藤若冲(このブログの背景もそうしてますが)の
絵、2時間とか、体力続く限りという感じで
見続ける
仲のいい美術館友達とは、美術館の「はしご」をする


そんなに楽しんでる、アートのこと
ちょっとはいっしょに楽しみたいと思ったのは
いつからだったか
ふと思いついて、自分でも読めそうな美術の楽しみ方が
書いてある本を読もうと思って、「気まぐれ美術館」by洲之内徹
読んだ。これがなかなか、切り口がいい
「どうしても手元においておきたい」そのくらい
好きになる絵がある。どうしても手元におきたい、
これ以上の褒める言葉があるだろうかなどといってる


そうか、好きになるというのはもちろんなのだけど
私的な問題なのだから、理解するとか、誰それといっしょの
評価をするなんて、二の次、三の次であって、自分が
楽しめるか、自分が気に入るか、そのことから思えばいい
そう思えたら、絵をみるのが、ぐーっと楽しくなってきた


絵とかたとえば、音楽でいえば、クラシックとか
なんか、敷居が高い気がするのだ
でも、実際楽しめるかどうかという観点でいうと
それは自分が決めるというか感じることなんだよね


洲之内氏については、後日親しかったという作家がその
人物像を語った本で、彼は女性を愛するのと同じように
いいえ、同じではない。美へのこだわりを女性から
絵に移していったといったような表現があった
それは、なんというかある面生身の人間のすることの
いわば、感情のむきだしのところを感じたりもするのだけど
一面、アーティストがそうのように、自分の内面をみつめたり
自然からもらった美を、なにかに焼き付けたいとか
共鳴させるとか、表現につなげていったことに
心の持ち方は似てるような、いわば、「高さ」があるように
感じる。


私が好きな絵が増えると
つれあいといっしょに見たりする
もちろん、気に入ることもあれば、そうでないこともある
それもあたりまえ
逆もそう。そうして情報交換したりすると、別の視点が
見えたりして、それも面白い


絵を楽しむのも、多種多様にて、人間との出会いにも似て
それも楽しい