見ること

見ること、見えていること
人の指導ということで
必ずしなければならないこと


見ること


実際、目に映るものをしっかり認識すること
サシで相手の顔、目をみること
このことからはじまる


大学生のときに
小学校の授業を分析するというような
要素のある、カリキュラムがあった
数人でとりくんだ、視点は「見ること」
教室であれば、教える側が、生徒を見てるのか
からはじめた


見てるということ
その心をみるというところにほりさげていく
なにか心にひっかかりをもってるなというと
しっかりとそれを見てるということ
見て、見られるということは
大事だし、また相当なところで、無意識にせよ
実際やってることだ


河合隼雄の「カウンセリングを語る」
教室で、特に気にかけなければならない生徒が
いるとする。たとえば母親の愛情をうけずにいままで
きたような子供がいる。そうしたとき
先生が、その子を抱きながら授業をやっているのを
見たことがある。すごいと思うのは
その子が、先生から抱いてもらってるということが
絶対必要なとき、まわりの子供はそれを
わかり許容するという。
これを先生がひいきして、やったら必ず文句もでるし
ぐちゃぐちゃになる


その子について、絶対的に必要かと見る、観察力が要る
思うと、「対人援助」ということを思うときに
上にあげた一例のような、観察力を養っておくというのは
いかに大事なことかと思う
援助すること、必要なタイミングで、必要なやり方、量で
援助するということが、大事だし大変だ
そのとき、しっかり援助される相手の様子を理解、把握して
おくということがとっても大事だ
同じ援助でも、同じ人にでもあるタイミングには
適切でも別のタイミングでは、成長の妨げになる可能性もある


私と、20年近くいっしょに仕事をしてくれた人がいて
その人の観察力に、感謝してるし、憧れる
空気を読むって言葉があるが、一般に言われるのは
まだまだやさしい。相手がなにか考え事してるのか
いそがしいのか、リラックスしてるのか、どういう状態が
さりげなく見ていて、ほっといてほしいときは
ほっといて、相手をしてほしいときは、話すことが
できる。
それって、なんて素晴らしいのでしょうね


見ること。見えること
大事だなと思うたびに思い出す人でした