木々の芽吹き

今朝見た、鶴見川の桜は1〜2分咲きといった感じだろうか
何年かまえに気づいたのだが、とても身近によくある
イチョウの木、桜が満開になるころ、かわいらしい新芽が
でてくる
イチョウの新芽は、あたりまえかもしれないがイチョウの形で
生まれたての緑色のういういしさで、よのなかにこんにちわといってる
感じがする


よく木々の芽吹く頃には、人間の心が不安定になるという
春が来たという喜びで、浮き足立つからだろうか
ひとつには、寒いときには、家であたたかいものをたべたり
火の近くにいって、あったまろうといったいわば
「生きよう」ということを自然にするのだけど
あたたかくなると、そうしたことが自然ではなくなって
どう生きたらいいのか?と迷うということだと
聞いたことがある


何年かまえに見た、テレビにて
スイスのアルプスの山に住む家族をみた
牛を放牧して暮らしている
乳をしぼり、保存食のチーズを作る
小学生かなと思うようなかわいらしい子どもも
「生きるため」に仕事をする
放牧に必要な大きい石をどかしたり、牛をおったりするのだ
この風景のあとに、母親がアルプスに生きると「アルプ力」がつく
という話をしてる。いいかえれば「生きる力」だと思う


イチョウの新芽に生命の美しさ、力強さを感じる季節
生きる力ということを、正面から思ってみたい
生きる力、生きようという力をつけるのには
どうしたらいいか、考えたい
仲間との絆、笑顔ではげましあうこと
語ること。そうした私にしたら「至福」の時間は
すべて、生きる力につながっていくと思っている


昨日は新社会人に向けて、言葉を書きました
仕事をするってことも、生きる力を養い、よりよく生きていくことを
学んでいくことに他ならないと思います
私は社会人になって26年、毎日、必ず生きる力をつけるぞって
意気込んできたわけではない
でも、ずっと忘れずにいること。仲間との絆をより強くしようと
思って、そのことから連想して、じゃあ?そうだ
もっと仕事がよくできるようになりたい、もっとマネジメントも
よくしたい・・・もっと・・・


木々の芽吹きで
少し考えがゆれる。でもいいのです
思いは、スクラップアンドビルド、どんどんこわして
また考えよう