等伯

父と子
長谷川等伯は、自ら自分を超える画家になるだろうとまで
思った、息子を亡くしている
洞院御所の仕事を、狩野派がおそらくワイロを使って横取りして
その腹立ちがおさまらず、狩野派の屋敷にのりこむ
その際、総帥の加納永徳の絵も否定してののしるのだが
永徳の言葉に、息子の久蔵の才能の大きさをはたと気づかされる
場面がある (これは安部竜太郎の「等伯」より)


このブログでまえに紹介した
負うた子に教えられということの例として
久蔵が等伯につぶやく場面がある
久蔵は等伯の息子という立場だからこそ、永徳の苦悩がわかる
天才を引き継ぐものとして、やらなくてはならない、プレッシャー
のちに、永徳の父であり、等伯の最初の師である狩野松栄は
永徳が、等伯というライバルを意識して、絵を大きくさせたと
述懐している。しかし、その大きくさせる過程において
自分の命をそそぎこむようにして、若くして死んだと評してる


京都智積院で、久蔵の描いた「桜図」を見る
絵具はだいぶ、色あせ、もしくは剥落してしまっている
それなのに、いいえそれだからこそ、抽象画のように
本来描かれたか、描こうとしたものが迫ってくるように
思える。絵のもつ迫力とは、こういうことをいうのか
桜の花が、大きく、本当にめいっぱい咲いているのだ
久蔵が命を注ぎ込んだからだろうか


一方で、等伯の描いた「楓図」桜図を押し上げるように
存在する。もちろんこの絵のみおいてあっても素晴らしいには
ちがいない。自分の頭のなかに、どうしても「親子であること」
「父親は息子を亡くして直後にこれを描いてること」が
あるから、意識せずにはいられないということもある
桜の若さ、明るさ。
楓のおちつき、すべてを受け入れようというような姿勢
息子の若々しい思いを、もっとそだててやりたかったという
父の思い。そう思いたくなる


小説にでもでてきたように、二つの絵は「遠近法」をまさに
超越して、かつバランスがいい。だから迫力がでるのだろう
負うた子に教えられるまでの思いをした
息子を亡くすということは、どれだけの痛手だろうか
自分を引きついてくれると思った、息子を亡くすということは
どれだけの痛手なんだろう
それを絵に昇華させることができたなら
もちろん、とても「高い」絵が描けることには
ちがいないかもしれないが、ひとりの人間として
そんな悲しみ、苦悩をあえて味わいたいとは、思えない


桜図、楓図。これからなにかのときに
たびたび、思い出すことになりそうだ