海棠

鎌倉の光則寺は、花の寺として知られてる
なかでも海棠はきれいだ


結婚して1か月目くらいだったと思う
やっと少しばたばたが収まっていて
「でかけよう」と決めた休日に、行先として
選んだのが、光則寺だった
鎌倉山でおべんとうをひろげたりした


光則寺は、学生のときの大事な仲間が
気に入っていた寺だという
その仲間は、明日香の甘樫の丘から
大和三山をみるということを、私に教えてくれた
その人だが、光則寺の明るさはいついっても
心がなごむ


桜から少しだけ遅れて咲く海棠は、派手さでは
桜にゆずるかもしれないが、ピンクの豊かな花を
いっぱいに咲くやはり、海棠だけがもつ、よさ、美しさを
もっている
結婚して、自分の帰るところができたということは
人と比較して、生きるということを思うのではなく
自分が満足して、自分が大事にしてることを、やってる時間
そのものを心をこめてやろうということ
そういうことだと気づくようになった


昨日は生まれ育った家で、家族で話す機会があった
まだ年若い人の消息を聞いて、10代というのはなんて
成長するときだろうと、思いをはせた
ティーンズのころのひとときって、いまの何年分の思いが
こもっているだろう
私の人格の相当な部分は、ティーンズのころにあったように
思う


日記に、「回想」することは、意味深くとても素敵な
行為だということを書いてる
「ああ昔はよかった」と現実の逃避のように思うのではない
自分がとても素晴らしい経験をしたこと
貴重な時間をもてたこと、相手と深い交流があったことなどを
思い出して、いま味わい直して、今後またその素晴らしい人生を
さらに充実させようという気持ちになる、いい行為なんだと
思っている


海棠が、そのやさしい、ピンク色が
こころのなかの、ごつごつしたところをふわりと
なぜて、なめらかにしてくれるような心持になる
先日のお茶会でも、笑顔が大事、人と接するときに
「春風」のようにふわりと相手とのやりとりをさせることが
できたら、とてもいいなと思った


まあ、まだギラギラと生きてる私には
なかなか、至難の業なのだけど・・・