さりげなさ

演劇をしたことが、よかったなと
感じることがある
それは、人に物事を伝えるときの基本を
知れたと思うからだろう
人の目をみて、笑みをうかべて話すことが
相手を安心させる
自分が誠実にやったことは、決してこそこそはしないで
どうどうと、胸をはって前を向いていたい


こうした原則も、日々の忙しさにまぎれ
そして、いろんな人の支援があることを忘れ
自分ひとりで生きてるような、気持ちになると
「どうでもいい」とかなりがちだ


ビジネスをすること
それは生きること
演劇で、人に見ていただくということ
それも生きること


ところで、「さりげないこと」ということに
気持ちが傾くことがちょくちょくある
自分が、芝居で学んだこと、いわば「目立つ」ことなどを
していて、さりげなく人と春風のように接して
微笑していたいと思うことがある
日本人はさりげないことが好きなのではないかと思う
「腹芸」と呼ばれるように、目だたなくても察するように
お互いのことを理解している
たとえば、食事も極端な味付けでなく
「だし」の味を大事にする。主食はさりげない
おいしさがあふれた、ごはんだ


ときどき、自分がしてることは
さりげないことをよしとしている日本において
目立つことで、自己顕示欲をむき出しにして
「自分が、自分が」と欲張ってるみにくさを思ったりする


そんなふうに思いながら
「生きるため」
「食ってくため」
には、そうしたことは、あっていいと自分で自分に言い聞かせてきた


さりげなさ
いかに「食っていくため」に目立つことをしていようと
さりげなさがいいものだということは
忘れずにいたいと思う


必要十分なこと
ここで、相手にどうしても伝えたいということが
あったら、どんどん出る
でも、その必要がなくなったら、さっさとさりげない状況に
もどる
そんなふうにできたらいいのにね