夏が待ち遠しい

数日前、関東甲信越地方は、梅雨入り
梅雨にはいると、夏が待ち遠しいと感じる
夏は夏休みの記憶とくっついてる


小学生のころは、よく遊んだ
近くには、クワガタなどがいた、雑木林があって
せみも、へびもでてきた気がする
自転車で少し走れば、まだたんぼもあった
河原におりていける、川もあった


道路は子供の遊び場で、ハンドベースボールやかんけりなど
ときによっては10人とか近所の子供は遊んでいた
いじっぱりだった私は結構けんかもしたし
なにかととがったりしていた
小学生は小学生なりに「社会」があった
あたりまえのあたりまえで、子供のけんかに親は
でてこなかった
これもあたりまえなのだけど、けんかはしても「素手」だった
おおけがするようなけんかは、どんなにくやしくても
なかされてもしないという、一定のルールが働いていた


いろんな家の子供がいた。ある面、みんな貧乏していた
だれそれの家の職業で区別なんてことはしなかったし
仮にもそういうことは、「恥ずかしい」という意識もあった


学校の先生は、熱心な先生に出会えた
「教える」ということは、愛情がともなわないと
結構こわいわけだけど、愛情がこもった、人間らしい
先生に出会った


先月にあった同窓会でも感じたのだけど
愛すべき人たちは、人への思いやりにあふれ
人を幸せにしようという気持ちが豊かだ
それは、いい環境に生まれ育てば、自然と育まれる
人間の基本的な、素晴らしさといっていいのではないか
どうも、基本的なことがないがしろにされつづけて
そうしたことが、少ない、感じられない世界が、どうかすると
普通になりつつあるような、危機感を持つ


生きるということは大変だ
けれど、生きるということは素晴らしいのだ
素晴らしいと感じれる、タイミングを増やしたいと思う