うつわの話

昨日、学生のときからの仲間にあって話をするなかで
私がときどきmixiでのせてる、食事の写真がいいですと
言ってくれて、うつわも素敵ですねと
褒められた
この手柄は知ってる人は知ってるとおり、私の手柄ではなくて
かみさんのほうなのだけど
ここのところ、器に自分も目がいくようになった


今年のゴールデンウィークに笠間の陶器市にでかけた
そのとき、その帰り道に仲がいい人の、家にお呼ばれがあり
その人にお土産を買うというつもりで、ぐい飲み(見方によっては
茶碗)を選んだ
経緯をもう少し書くと、最初はそんな気はなくて、うつわの並んでるのを
見ていて、自分の好みの器をさがすだけだったのだけど
途中で、そうだ、お土産にうつわをさがそうと思い立ったら
とたんに、自分の目が、選ぶ気持ちが後押しして、開いていく
思いがした


前段として、そのとき家にお邪魔した人は、とても仲がよくて
それでいて、ほとんどお互い利害関係なんてないし、つまり仲がいいから
だけで、いっしょに遊ぶ仲間だと思ってる
そんな人と、お互いうつわが好きとか知ってるし、また
そこそこ自分がみたものについて、どんな感じがしたかなんて
遠慮なしに、しゃべったりしてるので、選ぶときがとても楽しい


うつわなんていうのも、好きとか嫌いとかが結構はっきりでるので
仲がいい人に贈るという場合でも、相手がそれなりにうつわが好きでないと
喜んではくれないし、またそこそこ、趣味なりも想像できないと
選べない
そういう意味では、器について、選んでプレゼントするなんて
機会も、なかなか少ないのかもしれない


冒頭に書いた、普段のご飯の写真を、mixiとかで公開するのは
楽しい。料理が好きな人のコメントは、勉強にもなるし
当然、情報交換というか、いろいろ応用していくということで
貴重な情報。
おそらくだけど、なにか本から情報を得て、料理していたりすることは
多いのだけど、料理って実際作ってみないと、その良さがほんとうは
わからないということがあると思っている
それに、少し似ているけど、例えば京都の錦市場。あそこの良さって
あそこで食材を買って、何度も料理してみないと
わからないと思っている


食べることは、人間の根幹にかかわる大事なことで
料理して、うつわに盛るということも、生き方に通じること
ときに、食べることを大事にしていたら
きっと、いいことがあると感じることが増えた


きっと今日あたりもおいしい話をsnsでつぶやいてみて
いろいろ楽しむのです