謙虚ということ

昨日、親しくさせていただいてる
同じ業界の経営者のかたと話していて
謙虚なものいいは、ときにいやみ、逃げだという
話がでた


かつての同僚がオフィスを訪ねてきてくれたときに
りっぱなオフィスに感心してる相手に、たいしたことではないですよ
誰でもできるし、と、もちろん自分ではいやみでもなんでもなく
素直な気持ちでいったら
そうした、謙虚というか、自分のことを、一定のところ
低くおいてしゃべるのは、まわりからみたら、どうなのか
イマジネーションをもってみよということらしい
会社を経営していて、従業員をかかえて、立派なオフィスに
はいってる。そのことを、だれでもできるといったら
やってない人はどうなるの?


少しちがう局面だけど
テニスのレッスンにて、自分はどのくらい正確にショットが
打てるかなど、自己申告しなさいという話がコーチから
されたとき、注意点として、謙虚というか
自分はこんなもんです、というのは、なんか日本人らしく
自分はすごいできるということをあえていわない美学みたいに
みえるけど、一面、ずるくないか
自分はすこし背伸びしてできるといったほうが、練習になる
というかプレッシャー感じながらのプレイになるから
いいではないかと、話があった


謙虚なこと
日本人であれば、自分はこんなにすごいというのは
いってみれば「下品」ないいかたで
どっかで、なんというか卑下していうようなくせというか
傾向がある
しかしながら、バランスをとりながらなのでしょうが
自分はこういう世界があります。それを認める人が
自分とつきあってください。自分はこういう人間です
こうしたことができます、とストレートに伝えたほうが
とっても気持ちいいこともある


話をしていて、自分の世界にばかり話をひっぱってしまうのは
あまりよろしくない気がするので、昨日はさしひかえたのだけど
リーダーシップというか、いかに人を導くか
ということを語りたかった
あえて、当該の社長は、自らは直接社員にものをいうのは
減ってるという話があって、ヒントにもなり、一方で自分は
ちがうなと思ったりしてる


中小企業は、いろんな可能性がある
ひとりひとりの従業員も可能性がある
その可能性をひきだす役をしたいというのが、一貫した
思いだ
もちろん、直にやるのか、人をとおしてやるのか
方法論はあっていい
リーダーシップ論は、まだまだ続く