ドビュッシー、音楽と美術

先週末は、ブリジストン美術館にて、開催されてる
ドビュッシー、音楽と美術という展覧会を見る


ルノアールの「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール」
この作品にある、その空気は、おそらくその時代の優雅さ
アートの立つ位置、登場人物の雰囲気をよく伝えていると
感じる


ドビュッシーは、作曲家だけど、アートを愛好した
そしてアートの愛好家から、支持されたということだろう
ドガが描いて、ルロール家にあったという絵が背景に
描かれている。こうしたサロンが、アートを発展させた
ということは、話には聞いていたけど、作品で語られると
その空気が少し伝わってくるように感じる


「サロン」という言葉は、どうも敷居の高いところ
お金持ちの道楽で、到底自分とかは接点はないという
感じがずっとしていた
あ、もちろんいま接点ができたというわけではない
ただ、気持ちのところで、ある面拒否していたという感じがある
だけど、厳密な意味で同じもしくは、重なるところが
多かったかどうかは別として、荻原碌山を囲んで、続いたという
新宿中村屋の相馬夫妻が、提供したというサロンを知ってから
否定することは少なくともしなくなった
いいえ、あこがれをもつようになったといっていい


そうした、少したどたどしいあこがれをもつ、自分には
今回のドビュッシーをはぐくんだ、サロンの空気は
少し格調高い、やはりちょいと敷居は高い


ドビュッシーは、自分のなかでは「月の光」だ
静かで、心を落ち着かせてくれる旋律
全体を包んでいるのは、「上品さ」とか「優雅さ」
そしておそらく、真ん中にあるのは、人生に対する
探究心と、それが深いがゆえに起こる、迷いや感銘
歓喜、ときに悲しみ
そうした、織り込まれた心のひだの断片を、品よく
見せる、やはり天才なのだろうと思う


カミーユ・クローデルは、ドビュッシーの友人だというが
その彫刻に、やはり人生への思いを感じた
モネやルドンから、生きることを美しいものを描くということに
かけた人生を感じた


絵葉書を買ってきて、少し覚えていたいという気持ちに
なるのは、展覧会にいってよくあることなのだけど
こうして、思い返すと、美術界のスターたちが
賛美してる、美しさに、少し頭がくらくらしてくる