赤飯のレシピ

私が育った家には、祖母が同居していた
祖母は料理が好きだった
お赤飯は、祖母にとっては特別の日に作るごちそうで
大事な料理だったと感じる


例えば彼岸の墓参りをして、親戚と集う日に赤飯を作っていた
前の日からささげを水にひたしたり、その浸した水をとっておいて
いろいろ使ったり
そうした、レシピがいまも実家には残っていて
母がときどき、作るときに参照している
うろ覚えなのだけど、その作るときに母が口にしてるレシピが
記憶に残っていた。


最近手に入れた、料理をテーマにした雑誌に、赤飯のレシピを
見つけて、おそらく祖母のものとほぼ似てることに
気が付いて、赤飯を炊いてみようかなと思った
いろいろ、段取りをして、炊くときはセイロで蒸しあげる


セイロで蒸すということを思うと、餅つきのもち米と
似てる。
もちつき、一度とっても気に入ってしまって何度もやった
そういえばそれから、自分でごはんを蒸してなんて
やっていないのだ


2年ほど前そのとき住んでいた部屋のすぐ横にあった、公園で
町内会のもちつき大会があって、ちょいとお手伝いをした
とびいりでやったお手伝いは、もち米を蒸してる
セイロの火や、水の番だった
なつかしかった


もちつきなんて、まさにそうだけど、火のまわりに
人が集まって、おいしいもの、あたたかいものを
みんなで笑顔で囲むという、とっても楽しいこと
そうした意味でもちつきは、好きになったのだ


数日前のブログに、かつては食事をつくるということが
とても重労働、大変だったはずということを書いた。
いまもちつきのことなんて、書いていて
かつて、食事を作ったりが大変だったから、一定のところ
ご近所さんとは、協業するのはあたりまえ、というかどうしても
必要だったことに思い至る
人が集まれば、ときにもちつきのような、いっしょに
なにかやることは、できたのかもしれない
それから、それなりに時間も作れたと思う


そのように思うと、かつてのくらしは、スローフードやもちつきなどが
もつような、やはり「生きる力」を感じれるような要素が一定のところ
多いことを想像できる
いまは、人が笑顔で集まり、いっしょにできることって
減ってしまっているように思う


ビジネスのノウハウを書いてある、ときどき読む柴田励司の本に
いま、必要なのは、人が集まってくる場を段取りして、実践できる人だという
説明があった(あえて、前後は略する)。このことと
自分で書いたスローフードのことは、つながっていくように
感じる