さらすということ

ワークショップという手法を用いて
研修をしたいと思う
ワークショップの流れとして
お互いの話し合いの中で、考えて
考えたものをさらして、そこでもらえる
コメントなどをとりこみ、さらに考えていく
そして、評価するという流れがある


こうしたなかで、とっても大事なのが
「さらす」ということだ
おしゃれ、というのは、さらすことと同じ意味ということを
聞いたことがある
自分のそのままを、だすことができること
それが、なにか有意義なことを感じ取ることの
基本となるスタンスだ


研修をして、なにを得てほしいかということは
感じること
自分が、どうなりたいとか、こんな価値に思いがあるとか
感じることが大事だ
例えば、人を育てるということが価値だと思えるなら
そのことをするための、大事なことに気付くということが必要だ


人はなかなか、自分ひとりでは仕事していくのも
なかなか難しいところがある。助言や叱咤が必要ということがある
しかしながら、人間って、複雑でプライドももってるもの
どんな人にも、助言や叱咤をしてほしいかというと
自分が認めた、自分が尊敬できる人にはそうしてほしいかも
しれないけど、そうでない人から聞くと、いやなものだ


そんなことを、素直に認める気持ちということが
まず必要だし、気づけるということがなくてははじまらない
ワークショップは、ときに芸術の世界で、やはり「気づく」という
ことに、スポットをあてて行われる


このブログに、前に書いたけど、絵を書く世界において
ひとつの風景を、季節や天気などを思いながら
何度も同じ場所をみつめて、自分の求める色、空気、光の感じ
などを感じようとする
その粘り強い、やり方、生き方に通じるものがあると
書いてる
このことを感じるとき、絵を描くということも、たとえば
手先が自由に使えるとか、器用だというだけでなく
まず感じるという心がないとはじまらないことに
思いが至る


さらして、感じるということ
つまり、自分の真ん中でずっと考えてることは
なんなのか、ということをひとの前にだしてみるということ
なかなか、簡単ではないのだけど
ぜひ、やってみてほしいのだ
さらしてみる
そして、感じてみる
それが、漠然と感じていたということと、同じだとしたら
それはそれで、素晴らしい
もちろん、おもいもよらぬものがでてきた
それも、素晴らしい
気付くことから、はじまるのです