昨日に引き続き、社員教育の話を書く
「塾」が原点だと書いた
先代のご自宅で開かれていた塾は、指導者だった
先代の奥さんの言葉でいえば、寺子屋だという
黒板はない
塾生は、自分で決めて、その日例えば数学の問題集を
解くとか、英語の予習をするとか、ひとりひとり
メニューを進める


このことは、まず勉強しようというところで
とっても必要な態度だろう。先生がいい授業をする
というのもいいでしょう。しかしながら、自分で生かせる知識を
つけて、生きる力を養うということでは、自分で決めて
勉強を進めなければならない


たかだか中学生ということもある
なかなか、厳しいことだ。それでも指導者はりんとして
その進めてるひとりひとりを見守ってる
このことがまた、すごいことだ


ふりかえって、わが社の社員教育
基本はこの「見守ること」を着目していきたい
ひとりひとりの状態をわかってること
これは、またなかなか、生半可ではできないことだ
しかしながら、とっても大事なこと
そして、やっぱり「褒めて」その人のいいところを
ひきだしたい。


あわせて、いい意味で厳しさをともなった信頼関係が
できたら、長い目でみたときに必ず必要となることは
本人の耳に痛いことでも、やはり落ち着いてしっかり
伝えていきたい
ここで大事なことは、本人が聞く耳をもってる状態かという
ことだ。そしてそんな痛い話をする自分は、それだけ
本人にとって、大事で信頼のおける自分であるのかということだ


前にも書いた、対人援助をするときの基本の基本として
「話を聴く」ということ傾聴ということが
いかに大事かという話がある
また、話を聞いてる自分がいかに豊かに、その話を受け止められるだけの
器なのかということがある
この話のもとを読んだ、河合隼雄先生はいう
生徒のほうが、先生を落第させることはめずらしくないのだと
痛い話をするのに、その大事な相手に器がなければ
そんな話できるわけないじゃないかと


見守ること
話を聞くこと
これにはじまり、これにつきるのでしょう
なんて、とっても大変なことでしょうか
でもやりがいのあることにちがいありません