クジラの話

日曜日にテレビを見ていると
ベーリング海の近くの海峡にて
クジラとシャチの戦いが繰り広げられるという
ドキュメントがあって
印象に残った


食べたり食べられたりというのは、自然界では
当然のことなのだろうが、たとえばシャチが
自分の家族ではない、仲間をクジラをとるときに
合図をおくって呼んだ、ということ
さらに、ザトウクジラはちがう種類のコブクジラを
助けたという事実


解説のなかで、人間の心にあたるものがあるという
推測がなりたつという話がでてきた
えー?っと思う。こういうことがまさに事実となれば
クジラは高等な動物だから、取って食べるなんて
とんでもないという主張も、はあということに
なるかもしれない


クジラは50年生きるという。その生きるなかで
仲間同志通信してるらしいというのは、ときどきでてくる
話だった。同じ動物で100年生きるという象は
仲間が死ぬと弔うという話も聞いた


こうした話がつながってくると、小説「聖なる予言」に
でてくる、植物は人間の声かけをうけて、よく育つということも
なにか、微妙な波動だけでない心の伝わりなんて
思いたくなるということもちょいと、頭をよぎる


動物が生きるということに懸命なのはとても
いいし、気持ちがなごむ。もっとも食べて食べられてという
ところはなまなましいのだけど
人間も生きることに、もっと懸命になるべきと
よく思う。しかしながら・・・?と今日このブログを
書いていて、ふと思う。生きるのに懸命なのは
動物なら本来もっているもの。本来もっているものを
なくした?もしくはどこかにしまいこんでしまった
ように見える、人間には、おそらく言葉で、生きる力を
とりもどそうといっても、なかなかだろう


じゃあ?具体的にどうすれば、生きる力って
湧いてくるんだろう
それは、単純なことからなのではないか?って思う
人を大切に思う気持ち、人から大切にされて、感じる心
おそらく、おそらく
きっとそうなんだ