NHKで、ファミリィヒストリーという番組があり
高橋克典という俳優の父親の半生をドキュメントするという
内容だった
偶然にも、父親の高橋さんは、私が通った高校の兄弟校といっていい
高校で、30年音楽教師として活躍したということだった
そのなかで、ああ、いいなと思ったのは
顧問となった、音楽部で生徒に目標をもたせて、やる気をだして
もらうために、やったことのない、大きなホールでのコンサードを
企画、実施したというところだった
その経験をした卒業生の手記にうなづいてる自分がいた
「あんな感動をしたということは、あとにもさきにもあのときが
一番すごい」ということを言ってる
人が、なにかに気付いたり、やる気をだしたりということの
一番の大きなきっかけになるのは、なんといっても感動することだと
思う
音楽にて、コンサードをやって、部員同士が、そして観客と演奏者が
ある空間を共有し、心を通わせる。人間ってこんなに感動できるんだと
気付く
高校時代は、軽音楽部でフォークソングをコンサートでやるということが
最大のイベントのクラブにいた。本番に向かって練習を重ねて
かなり、先輩からプレッシャーを与えられ、教えられ
一生懸命、ひとつのステージを作るというすごさを味わった
ほんとに、ひとりひとり、真剣だった。その感動は
確かに、はじめてのものだったし、いまでもかなり鮮明に
覚えてる
そのステージを作っていくというアンサンブルの楽しさが良くて
大学では、英語劇でやはり、舞台にかかわった
人が感動をするということ。そのことがいかにすごいことか
ぜひ、知ってほしいと思うところだ。それはもちろんスポーツでもいい
音楽でもいい、なにかそうした芸に関することが一番わかり
やすいのかもしれない。その指導をずっとしていたという高橋先生は
退職のとき、卒業生からいままでの指導ありがとうございましたという
お礼をいわれたとき、「いや、お礼をいうのはこちらです
みなさんを教えるということを通して、自分は本当にいろんなことを
学び、生き方ということを教えてもらった、ありがとう」という
挨拶をされたという。
このこと、10代から似てる状況で聞いたことのあるセリフ
なのだけど、いまになって、その思いが伝わってくる
はっきり、大学の前半の2年間は、教師になろうと思っていろいろ
考えたりしていた。学校が好きだから、教師になるのも
よかったかもしれない。でも自分はビジネスの世界を選んだ
そのことが、正しいかとかはあまり意味がない
自分で決めることだし、自分で答えをだすべく、生きるという
ことにほかならない
いま思うのは、教師になるためのいろいろは、少しずつ自分のなかで
あたためられ、ちょっとは花開きつつあるということ
高橋先生は30年、高校生を教え続けて、その教え子に音楽の
楽しさ、コンサートを作る感動を残した。そのことの
素晴らしさ。いいものだ
こう書いていると、教師という入り口にしても、ビジネスマンという
入り口にしても、やはり途中からは似てくるのだと気が付く
ビジネスをやるにしても、ときどき話題にでるように
技術系なのか営業系なのか、ときに相反する価値があるなどと
ずいぶんちがうように、感じることはある。でも、それぞれの
入り口はそうでも、途中から似てくるのだ
それは、どちらのビジネスであれば、お客さんの気持ちをしっかり
受け止められるかということが大きな、ポイントとして
でてくると思ってるから。つまりは人間として、人間との
関わりがどうなるのかということにつきるのではないか?
人間は、感動してこそ、見えてくるものがあるもの
そう信じてる