安部龍太郎氏が直木賞をとる

昨年の5月まで日本経済新聞で掲載されていた
安部龍太郎氏の「等伯」が直木賞に輝いたというニュース
昨日の同紙文化面40面に本人の喜びの記事が載ってる


「思えば私が等伯を書いたのではなく、等伯が世にでようとして
私を走らせたのではないか・・・」


こうしたつぶやきをみて、東山魁夷がそのエッセイでつぶやいてる
言葉と重なる。
唐招提寺の御影堂に、山雲、濤声という絵を描いたが
その11年、おそらく東山は、自分が描くというより
鑑真の思い、鑑真を慕った人の思いが、自分を使って描かせたという
表現をしてる


等伯の連載は楽しみにしていた
智積院の障壁画、本法寺の釈迦大涅槃図が
見て見たくて、去年の春は京都まででかけてみた
智積院の障壁画では、しばし立ちすくんで見入ってしまった
遠近法を超越した描き方がいい、またそうしたことも
どこか、忘れてただその迫ってくる絵の迫力に圧倒されたということが
正直なところだ


美術館に行くなりして、いわば美術界のスターが書いた
至宝のような絵にふれてみたりして、それはそれで
気持ちを豊かにする、いい時間にはちがいない
だけど、いかにスターとはいえ、こちらの心をふるわせてくれる
もしくは、こちらの心がその世界にはいっていけるだけの
キャパシティやらアンテナがないともいえるのだが
言ってみれば、「共振するように」心が震える体験というのは
なかなか少ないものだ


等伯の絵は、私の心のなかのなにか、美への思いとか
生きるということへの、焦燥、ほとばしる生気などを
刺激した
おそらく、画家は描くことが生きることだ


安部龍太郎氏は、その記事のなかで
西のぼるさんという画家から、長谷川等伯のことを聞き
松林図屏風をみて、衝撃をうけたという話を載せている
残念ながら松林図はまだ見ていない
この松林図の誕生のストーリィが、小説等伯のクライマックスに
使われてる。もちろんフィクションだと思う
しかしながら、フィクションであろうと、等伯の生きざまの
鮮明なところを、しっかりつかんだフィクションに
思えてならない


自分が書いてるのではなく、この小説では400年のときを超えて
等伯が書かせてるという思いがした、このこと
なにか表現をするという人として、あこがれもするし
おそらく、一定の集中力と精神力をもって仕事をすると
感じられる境地なのではないかと、思い、いいなと思う


安部龍太郎さん、おめでとうございます
また今後も素晴らしい作品を待っています