手は退化してる

愛知県瀬戸市にある、昔からの作り方を守ってる
「瀬戸本業窯」のかたに話を聞く機会があった
「よく縄文時代に学べ、ということが話にでる
文字もない、あれだけ古い時代の縄文土器の造形の力強さ
素晴らしさは、すごいものだ。それから思うに
現代は、手が退化してる」


どきんとした
手が退化してる。
子どものころに見た、未来の人間像で、手はともかく
未来には、いすが身体の一部で足は退化してしまってる
まるまった、人間がアニメーションででてきたのを思い出した


手が退化してる
退化という言葉については、このブログで少しまえに書いた


http://d.hatena.ne.jp/tetsuya556/20121213/1355355108


対人感応力は、確かに退化したといっていいと思ってる
手は?といわれて、言葉がでなかった


学生のころ、読んだ本に、「手は第二の脳、足は第二の心臓」
という言葉があり、忘れないようにしようと思ってる
手は第二の脳なのだ。手が退化してるということは
脳も退化してるということにつながらないか?
↑に書いた同じ人の話を続けると
自分のところで、うつわを学びたいといってくる人の
なかで、「芸大出」などという人が一番、だめだという
例えば、うわぐすりを作る基礎の過程だけをまず3年やりなさいと
いうと、「自分には時間がありません」などと理屈をこねる
だめだと切ってる


理屈をこねる前に、基礎となることを手を動かして
やることだ。という。このことはまったくもって
いろんな仕事に通じることのように思う。
頭で、言葉をこねくりまわしているのではなく
身体で、手足を動かして、手で考え、足で思えという
ことだろう


やっとというか、それでも25年以上、仕事をしてきて
思える心境なのかもしれない


いっしょにいった、私の連れ合いは、その窯の仕事のしかたなど
似てる話を、私が↑に書いた人の息子にあたるかたから
聞いたらしい。全然印象がかわったという


そのとき、その年齢だから、感じれることがある
そのとき、だからおそらく、迫力をもって話せるときが
あるということでしょう


手が退化してる
とても印象に残った、ひとときでした