ネクタイに思う

まだ学生時代だったと思う。ある人が海外勤務にて、事件にまきこまれて
誘拐され何か月も拘束されて助け出され、病院で療養中という設定で
「お見舞いにネクタイを送る」という話を新聞のコラムで読んだ


お見舞いがネクタイ?あれれという感じに思った。フルーツだとか
病院にいるそのときに、なにか役立つものというのが、一般的に
思える。そのネクタイを送るということは、退院して活躍するのを
待ってますという意味をもつとそこに書かれていた


あー、なるほど、と思った


現役のビジネスマンであれば、ビジネスマンとして活躍することこそ
一番うれしい、自分らしいということになるのではないか?
それなら、一番うれしいことに近づく、もしくはそうしたときを
いろどる、グッズを送るのがいいのではないか?


そのコラムを読んだことが、ずっと頭にあって、男性のなにか節目の
ときのプレゼントはネクタイを送ることが多い
あなたが、元気にビジネスの場で輝くということを祈ってのことだ


ときどき、素敵なネクタイをしてる人に会う。そういうとき
どんな感じがするだろうか。{あ、この人はおしゃれだな」と一言だろうか
いいなと思うのは、ネクタイに輝くなにかを見せてる人がいたら
きっとビジネスでも輝くひとときをもっているのだろうなと
連想してみたりすることだ
身だしなみに少しでいい、気の利いたポイントを見せられる人は
やっぱり仕事も、気の利いた感じでやるのだろうと想像する


この前このブログに、自分にとってのキーパーソンに、実はすでに
会っているのに、自分が気づけない、もしくは自分の側にそのすごさを
受け取るキャパシティがない。ゆえにせっかく「生かせれば」自分の
可能性をひきだせるチャンスにつながるいろいろを、自分で生かせない
状況を作ってしまう。という話を書いた
せっかくなら、やはり一期一会、このことばを思って、出会いを
大事にしたい


ネクタイというと、もうひとつ思い出すのが、有名なデザイナーの
やっぱりコラムでのひとこと。おしゃれは自分のために
するのがいいという話
例えば、なにか大事なことを調べて準備して、文章を書くということを
するときに、自宅でも寝間着だとか、スウエットどかで
ずっと過ごしていると、なんともしゃんとしなくて
自分で自分のことが、いいほうに思えない
そこで、自宅でいて、だれがみてのでもないのだが
清潔なシャツにボタンをとめて、ネクタイをして過ごすと
とても、気持ちよく、仕事がすすむということがあるという


実際のところ、ネクタイまでするかはともかく、自分ひとりで
過ごす時間でも、クリーニングしたてのシャツを着て
きりっとした気分で、仕事してることがある
そうすることで、いい考えもうかぶし、気持ちが
前向きで、いい時間が過ごせる


ネクタイ一本でも、気持ちが明るく、前向きにするそんな
パワーがある。そういうことに気付く自分でいたいと思う