アンテナがたつ

もう7,8年まえになるだろうか
柴田励司氏のセミナーにでた。それから彼のメルマガなどを
読んだりする。そのなかで、携帯電話のアンテナがたつという
ことを例として、人間もある事柄にアンテナがたつ
状態をふやすことが、たのしいと書いてる


例えば、私のプライベートでいえば、ここ4年くらい
2009年に九州の佐賀県あたりを、うつわの旅にでかけてから
うつわの関連にアンテナがたつようになった


絵もそうだし、うつわもそうなのだけど、基本的には
自分が楽しめるなら、それでいいということがある
まあ、そればっかりだとひとりよがりでなんなのか、と
なってしまいそうだけど、あたりまえのことだが
同じものを食べて、ある人はおいしいと感じて、別の人は
そうでもないとなるように、美しいという感じる心だって
人それぞれなのがあたりまえ。


ただ、アートの世界で、やっぱりスターといっていい人は
いるとは思う。そういう人の作品は、やっぱりいいことは
多い。でも世の中にある世界でスターでも、自分はそうでもない
と思うこともあるように、アートの世界でもあてはまるだろう


アンテナがたつようになると、自然と興味がそちらに向くので
情報もよくはいるようになる。たとえば、twitter、そういうお店を
フォローしたりするので、話題が豊富になっていく


ただ、絵ももちろんなんだけど、うつわに関しても、語彙が足りないし
表現するにはやっぱり限界があるので、たとえば相手がうつわが
好きで、仲がいい人といても、うつわの話を具体的にして
そのよさを愛でるような会話を、うつわそのものなしに
するのは、難しい
やっぱり、お互いいっしょにか、いっしょにでなくても見てるものが
そこそこの数、ほしいものだ。おそらくそうした感覚的なものを
あわせるのには、やっぱりいっしょにうつわを見に行くという
ことが大事だろう


さて、技術の世界。やっぱりいっしょに仕事をしたことがないと
たとえば、人を指導するというときに、お互いの共通項を
さがすということが、とても難しくなるだろう
やっぱり、感覚的なところで、ああ、そうかと思えることが
いくつもないと、なかなか話は通じないものだ


同じ会社にいたら、やっぱり共通体験をするということを
ふやすということが大事だと感じる
共通体験、なかでも、やったなという達成感があるもの
ああ、素晴らしいと心をうつ、そんな瞬間
すごいな、かっこいいな、あんなふうに生きたいなという
自分の生きる道のヒントになるような、そんな体験。


いまこんなふうに書いてきて、会社に所属する、その意味は
共通体験を作るということにあるのではないかと、思えてきた
いいチームで仕事をするってとっても大事
その立場を決める、会社に所属するってことは
とっても大事な要素なのだけど、その所属してるってことを
ひもといていくと、共通体験があるってことが
そのなかで、大事なことだと感じる