学びあうこと

年下の人、特に10歳でも20歳でも下の人から学べる人というのは
すごい人だと思う


テニスのレッスン。コーチが大学生だったりということがある。
そのコーチから学ぶ。教えてもらってるときに感じるのが
「あ、この人熱心だな」とか、相手がどんなふうに教えてくれてるか
とても、気になるものだ。いいかたを変えると、気持ちをこめて
教えてくれるとき、その気持ちは伝わるものだ
そして、気持ちがこもった教えはやっぱり受け取りたくなる。


「学びあう姿勢」をもつこと。このことが社内ではっきりいいはじめて
まる6年、7年目になった。
この学びあう姿勢が大事とはっきり意識したのは、大学のゼミのことだった
恩師の樋口禎一先生は、大変実績のある数学の関数論の先生だが、
偉ぶらない先生だった。謙虚といっていいと思う。先生がこんなふうな
雰囲気を持ってるから、学生がのびのび学べるのだと思った


昨日、社員と昼食を食べながら、先輩が後輩を教えるということに
ついて、いくつか話をした。このとき感じたこと
「先輩だから、後輩に教えるのは、あたりまえでその一方通行になっていく」
という状態は、話がつまんなくなる
たとえ、数年先輩であっても、その後輩が、自分が経験していないことを
知ってるかもしれない。その可能性はあることは、仕事していれば
容易に想像できる
よしんば、そうした、実際のところ後輩のほうに知識、経験がないとしても
あなたから、学ぶという姿勢で話を聴ければ、その後輩さんは必ず
いい感じでいろいろ話せると思う。この一点だけでも、「学ぼう」
ということを意識してる価値がある


学びあうということが、なかなかうまくいかないひとつの障壁は
「メンツ」でしょう。先輩としてのメンツがあるから、後輩から
学ぶなんてできない。
このことは、全くのはきちがえと思ってる。
↑に書いたことが理解できて、「価値」として認識できるなら
なぜ、協力して価値を生み出すことをしないのでしょうか?と
感じる


何度か思ってること。学ぶということは、いい雰囲気のなかだと
とてもやりやすいのだ。相手も学ぼうとしてることが、いい雰囲気に
つながるのだ。
お互いに学ぼうというリラックスした「出入りのある」といったらいいか
一方的でない、やりとりのある、いい状態は努力して作るものだと
思う。特に一方の人が、デリケートな状況ならなおさら
リラックスした雰囲気が貴重だ


今日も、こうして学びあうことを、ずっと思って
いろいろ書くわけだけど、うーんそういいながら
自分のいったほんのひとことが、雰囲気をだいなしにして
大きく反省・・・なんてことは、なんどもやっているのですよ
実際のところ・・・