負うた子に教えられ

天の瞳 by 灰谷健次郎にて
主人公の通う中学校の、PTA会長は、自らが生んだ子どもでなく
東南アジアから、里子として受け入れた子を育てていて
つぶやく


あとあと、この子に自分が面倒をみてもらおうとか
自分の事業を後継してほしいなんて、思っていないんだ
負うた子に教えられということが、してみたい
教えられるということのうち、自分が面倒みた子に
教えられるということが、貴重だし、自分に響くらしい
おしえられてみたいからなんだと


いつからか、負うた子に教えられということも
私もしてみたくなってる
人財育成、人を育てるのが好きということもある
このことを意識しだしてから思うのに、自分が気づいて育つ
ということが大事なのだが、結構教えてる相手のその言動で
気付くということがある。いいえそれは本来的に
あること、あってしかるべきことなんだと
思うようになってきた


人間は迷うものだ
生き方からはじまり、仕事のしかた、自分の思い。
影響をうけるということもたくさんある
迷うことは、必ずしも悪いこととは限らない
もっとも、迷うと、本人はつらいのではと感じる
そうして、迷ったときに、なにかしら信じられて
これはいいなと思う瞬間を求めるようになるのではないか


自分が教えたいろいろについて、教えられたほうが、成果を
だしたりすると、やっと自分の教えたことが、ほんとうに
そうしていいんだと感じられるということもあると思う。
人間は、頭のなかだけで考えていても、なかなか考えが
信じられないということもありうる。やっぱり足をつかって
実際その場にいって、手をつかって、いろんなことにふれて
それでまた、感じるところがあるということの繰り返しだ


教えうということは、とっても高度でまた、刺激があり
大変だけど、やりがいのある仕事である
そうした仕事をして、いい自分の部分を相手に伝えて
相手がそのことをうけとって、いい成果をだしたら
もう価値あることといって、さしつかえない
そのいい部分を見直して、当初教えた自分が
あーなるほどとなるのも、想像できる


人財育成が課題だ。やっぱり人を教えて、その相手が
育ってきてるという実感をもって、またステップアップしたい
いいチームは教え教えられが、普通にあること
学びあう姿勢はすごく自然なこととして、やってると
感じてる