人間ってわからないから面白い

虹をわたっていった人のことを
いっしょに思い出をわけあった人と、いろいろ話すのは
その人の人生を、学びなおすというか、虹を渡った人の
人生であり、かかわってる自分の人生であり、少し時間を
おいて眺めることをするということになると思う


人間の気持ちとか心なんていうのは、複雑でどんどん変わるもの
だから、「言葉」という道具では、なかなかとらえきれない
ものだと思ったりする
ごく最近、人の気持ちをくめなんて、そんな大変なこと
やれっていうのは、どうよという会話があった


リーダーであれば、フォロワーであるメンバーの様子はみていて
ちょっとした変化であるとか、気になることをみのがさず
気配りをして、可能な限りフォローしていくことが
必要でしょう
それは、たとえばいっしょに暮らすのであれば、やっぱりお互いが
気持ちよく過ごせるように、相手が思ってることを「察する」
ということが必要なことに似てると思う


相手と相対していて、相手の様子を受け取れること
また受け取って、思うところを返すこと
そうしたことが、自然にできる相手がいること
これ、生きてくうえでいかに大切なのかって思う


先日、NHKにて、SNSの利用の仕方をルポルタージュする番組が
あったのだけど、その登場する人は、ある意味、そのまま
いまいる若い一部の人の姿をリアルにきりとった姿なのだろうと
うけとれる。だけど、まさに「家族」だとか「仲間」の欠如
というか、不在だということが、あって悲しい


人間関係の基本は、家族であり、ごく親しい友人と例えば
10代とかにはぐくむはずなのだけど、するりとそうしたことが
ぬけおちて、人とどう接して、どう生きたらわからない人が
SNSなるもので、いきなり人と接して、へんてこりんになる


いいえ、自分だって、10代だって20代だって、そしていまだって
完璧なそのときを過ごしたなんてことはなくて、試行錯誤の
連続なんです。だけど、すこしだけ「本物」を意識できていた
ように感じる


本物の、リアルな大事なことを、ちょっとだけども
感じながら生きるかどうかって大きいような気がする


人間のこと、相手と築き上げる信頼関係、友情
家族の絆。それぞれ、ほんとうに深くて
やってみて、まだまだだなと思うことがたくさんあって
なかなか、面白い


深い、いろんな生きることのヒントになることって、実は
日常生活でも、いっぱいでてくることなのですよ
いつか、メンターの話になったときに、メンターになりうる
人に出会いたいなどと、いう人がいるが、実はもう出会っているのに
そうと自分の器とかが小さかったりして、きづけないだけだろう
という話をここに書いたが
生きるヒントとなるような、出来事もそうだと感じれないだけで
生きていれば、そこそこ、ぶつかっていることなのですよ