自分との対話

人によっていつごろなのかは、いろいろだけど
自分のなかに、もうひとりの自分ができで
その自分と対話するようになると、ようやく
人は大人への階段をのぼりはじめるという


こういう話は、小説やいろんな本に、うまく説明
してあることがある。実は自分がとても
自分のことをみてる。一方で自分こそ
わからない存在
その自分に蒔ける、負け続けるということは
どうなのだという話


マンガ 「ピアノの森」の主人公の
親友かつライバルという設定の雨宮は
あるとき、主人公がそれまで、全然関心も
示さなかった、自分がめざしてるコンテストへ
偶然エントリーすることになったとき
それは、「つきあい」にて「全然本気じゃない」
という弁明を主人公がすると
鋭く言う


コンテストには、全力ででてほしい。それが
コンテストに対しても、僕に対しても、最低限の礼儀
だと思う。コンテストに全力でやるということを
しないなら、僕とは絶交だ


それから雨宮は、あんなに練習するのに、いやだなーと
思いながらやっていた、コンテスストの練習に
集中するようになる


ライバルの出現が、己はなにものだということを
自分に考え、自分と向き合うことをせまり
自分が大事にしてきた(と感じるもの)を一心に
思えるようになる


生きること、自分が自分であることを
どうしても、確かめたくなる、瞬間というのが人間には
あるのだと思う


例えば、世の中にさがしてみれば、自分より
その分野で秀でている人はいるのかもしれない
自分の存在証明がほしいということは、他人がどうという
ことでは本当はない。しかしながら
なかなか、自分が見えない、迷いが多き私たち
ついつい、他人と比較したりはするのですが


自分が自分であること。自分が信じた道を続けて歩いていくこと
それは、やっぱりチャレンジなのだ
チャレンジが、まっとうにチャレンジしつづけるということから
逃げなければ、つらいけど、自分のチャレンジを
信じ続けられるならば、応援したいと思う


人は成長できれば、なにをやってもいいんです
これは、他人がなにをやってもいいと評価する言葉では
ないことに、今日ブログを書いていて気が付いた
それは、自分と向き合っていく人生で、「成長」できれば
自分が自分を、信じられる、自分が自分が生きてることを
肯定できるからだ


少しずつでいい、挑戦しつづける人生を送りたい
成長しつづけることが、その先を開いてくれる