夏休み

子どものころの夏休み


さんかくベース 缶けり おいかけっこ
近くのくさむらでの、ばったとり
雑木林にて、くわがたとり
河原で遊んで、土手をとびおりたり
自転車でどこまでも、どこまでもいってみたり


夏休みはずっとあった
ずっと続くような気がしていた


子どもながらにも、近所の子供たちには
社会があった。誰がみても、卑怯なことをすれば
総スカンをくった
上下関係もあった。派閥もあったりした
遊ぶうちに、あいさつってどんな意味があるとか
近所のおじさんに怒られたりして、やっぱり
それなりに、社会にいるって知った気もする


子どもの頃は、のどかというか、いい地域社会があった
近所の子なら、当然しかったり心配したりした


大きなスイカをみんなで食べた
兄弟3人はみんなたべざかりだった
すきやきや焼肉となったら、お肉の争奪戦だった
ご飯はだされたときに、さっとたべなければだめだよって
身体で覚えた
母親は、おおらかで、たくさんたべさせるのが好きだった


夏休みの宿題を、仲良しの家でやった
絵の宿題なんてあって、それを書いたことを思い出す
絵はどちらかというと、苦手だった。いっしょに描いた仲間の
絵がやっぱりうまくみえていやだった
宿題はずっとやっぱりたべちゃうほうだった
さっさとやるのが、できないほうだった
でも、やっぱりそうしたことも経験しておいて
それから、いろいろはじまるのかなって気もする


小学校のうちは、ほんとにいいこだった
親にさからうなんてないし、当然学校でもいいこだし
中学校になったら、やっぱり思春期だろうか
きれいな女性の先生にあこがれたりした
親にもさからったりいろいろあった


人は、自分のなかに、もうひとりの自分ができて
対話するようになると、大人への階段をのぼりはじめる
なんて、つぶやきを、誰か確か中学のときの校長先生が
冊子に書いていたのを思い出す


自分との対話、おそらく中学生のころからあって
もうひとりの自分とは、なかなかやっかいで、そいつが
機嫌よくしてるときって、なかなかないように思って
ごちゃごちゃしてる


自分のなかの自分も含めて、会話したり接したりする人と
そこそこ、いい感じで気持ちを落ち着けて、いられるのって
いまの自分のようになっていったのって、結局は結婚するくらいから
のように思う


若いということは、迷うもの
子どものときは、迷うための材料さがしに、いろいろ
遊んで、寄り道をするもの
そうやって、だんだん、いろんな見方ができるのかなと
感じる。
夏休みに思い出すこと、あまりまとまらない