絵のことを話す

昨日、ある人と話していて、あまり自分のプライベートな
ことを話したことないかたで、例えば休日はかみさんに
連れられて、美術館に行きますという話をした


どんな絵
ということで、このまえの7月、東京ステーションギャラリー
見に行ったのは、エミール・クラウスという方で、大原美術館
作品を実際ヨーロッパに行って求めたという、もともと画家の
児島虎太郎が、師事したという絵でね。ふたりの絵をならべて
比べられるような、展示があって、その似てること
似てるのに、やっぱりそれぞれいいことなんて、話してみた


絵をあまり、趣味としない相手には、固有名詞は、どうも「引く」
材料になってしまうのに、気が付いた。そうなんです
自分もそうでした、画家の名前とか、美術館の名前だって
そんなことに、普段ふれない人からすると、そういうことが
するすると、口からでてくるのが、なんか自分とちがうってなって
しまって、ひいちゃうってこと

そんなことを思い出して、でも絵ってやっぱり、自分が好きって
思えることが第一だからねという話にした。
相手のかたは、私は映画がすきで、映画って、絵が連続したものと
とらえれば、楽しめるかもという話になった


絵のことを、平易な感じで話すのって、なかなか難しい
いいえ、なんでもあるジャンルになると、その言葉を知らないと
なかなか、しゃべるのは難しい


先々週は、千葉に高村光太郎の展覧会にいってきた
実は、あまり目にはいってこなかったのです。高村の彫刻
ここのところ、彫刻は好きで、荻原碌山の「女」であり
高田博厚のトルソー、佐藤忠良の帽子シリーズとか
大好きな作家のものが、目にうかぶ。比較するのは
ある意味、狭い見方を自分にさせてしまうなんて、思いながら
どこかで、碌山美術館で、感じた、作品の前にとまって
じーっと魅入ってしまったあの感じとかを思い出して
高村の、作品に相対してるのだった


好きか、嫌いか。自分の手元にどうしてもおいておきたい
と思うくらい好きか。こうした表現がわかりやすいと
思う。州之内徹さんが、教えてくれた
でもそれは、思い入れの強さは伝えることができても
とりあえず、話だけで、そのとき、どんな絵があったとか
こんな絵が好きというときに、なにか少しでもビジュアルな
感じを相手に伝えようとしたら、それだけじゃ、できない


高村の作品は、好きになれてない
でもね、実はさきほど、書いた碌山の作品だって
みたとたん、あーすごいとなったわけでは
ないんだけどね
なんども見て、その良さがはいってくるってあるのですね
高村の作品もそんな要素ってあるのかな?
また碌山美術館にいって試してみようか
確か、「手」の作品があった


ときどき、アートが好きという人に、自分がどんな作品を
みてどんな感想をもったか、話してみるのってとても楽しい
でも、ちょっと難しいけど、特段アートに興味がありませんって
人にもなにか、わかりやすく、アートの良さが伝わるように
話せたら、すごいと思う