クールシエア

クールシエアという言葉を聞いた
これ、ひとつには、きずなを作るということに
つながるかなと、直感した


前から思ってること、地域社会ってやつは、いまの日本の
特に都会、街ではなくなっていて、きずなを求める人の
声が聞こえる


以下、「小さな会社のための成功するFacebookマーケティング
by 高橋浩子 田井中由香 より


かたや一人で大変な思いをして子どもを育てている若いお母さんがいて、
かたや人の世話がしたくて仕方がないお年寄りもいる。そういう人たちが
自然に持ちつ持たれつの関係でいられたのも、大家族だったり、ご近所づきあい
があってこそ。でも急激な欧米化の中で、私たちは「自由」の名のもとに
そういうしがらみを排除してしまいました。でも、今ここにきて
「自由っていうのもしんどいよね」と思い始めた人が増えてきた。暮らしを
変える風が吹いてるのかもしれません


日本の地方に行くと、あ、こんなにまだ地域社会って生きてるんだなと
感じることがある。野沢温泉の民宿にいくと、自分のつくった
野沢菜づけを自慢しながら、泊まった客はまるでわが子のように
おいしい料理でもてなし、やさしい笑顔で包んでくれる人がいる


都会に住んでいて、地方はいいなというだけでは、どうも話がさきに
いかない。冒頭に書いた、クールシエアのようなこと
そこらじゅうで、できたらいいなと思う
そうはいっても、そんなにないのかも
しれないけれど。


日本は、特に都会は、「儲けよう」という意識がありすぎ
そこらじゅうにはびこりすぎなのかもしれない。
だから、ところせましと、自動販売機がならび、ちょっとの隙間の土地が
あれば、駐車場にして、儲けましょうということらしい
ちょっと恥ずかしいし、なんかいやだなという感じ
もちろん、お金をかせがなければ、生きていけないけどね


クールシェアが、あるのような、できるような街に
していきたい
それには、やっぱり空間というか、それに適した場所が必要かな
場所から?というのも、さみしいかな?


東日本大震災が起こって、できる人はボランティアなどして
その場所の復興を思うのだと、感じた
一方、自分は?
というとき、もちろん、なにか復興に役に立ちたいとは思った
けれど、現地にいって、ボランテイアをしようとか
そんなことは、一切していない
どう思ったのかということは、やっぱり自分の生きる道をしっかり
認識しなおして、自分がやれる、最高のパフォーマンスを
(おそらく)仕事で、だすということが、一番の復興の手助けかな
ということ
あまりに回り道かもしれないけど、いっとき、数日とかボランティアなど
するよりも、本当にいい人材を育てて、社会に貢献できる会社に
していくことのほうが、最終的には役にたつと思ってる


なんか大上段の話になってしまった
クールシェア、どっかで、実践したいな