なごりの夏

安曇野北アルプス展望美術館にて、見つけた、山下大五郎は
季節の変わり目ということを、とても意識した、画家だったと
解説にあった


もう明日は雪がふるだろうという秋の日
夏の日差しがかわっていくのがわかるという日


今日の朝の青空は、雨上がりということもあって、いままでの夏の
空気とちがうものがあった。実際気温も低いと思う
22度という気温につぃて、まだまだ最低気温にしては
高いじゃないかと思う見方もあるのだが、今日5:25から外を
歩くと、半そででは、ちょっと寒いなと思うくらいだった
人間の身体の、気温の感じ方も、相当相対的なのかもしれない


山下大五郎は、例えば夏から秋へ空気が変わるということを
その光の色を表現するのに、何度も、何年も同じ場所に通って
絵を描き続けたと思う
前にも書いたが、画家にとって、絵を描くということは
生きることそのものだからだそうだ


ときどき、プロってなんだろうと思うときがある
プロっていうのは、責任を伴うっていう定義があるけど
まわりが認めればプロだろうか
画家は画家として、どんな生き方をするのがいいのか
この山下大五郎を例にとれば、安曇野の美しさを気付かせて
くれたことで、私のなかでは存在価値が高い


画家が、凡人には気づけない、風景であるとか、自然、人の顔や身体も
あるでしょう。その美しさを表現して、その存在を気付かせる
これは、画家のひとつの、存在価値といっていい
これも同じ美術館において、解説にあったことだ
解説を読んでから、そうした画家が示してくれた道しるべをたどるように
自然や風景の美しさをたどれるのは、楽しい
そして、楽しいうえに、気持ちが豊かになっていくように思う


話が急にとぶように思うかもしれないけど
実は先日高校時代のクラス会があって、十代の一定のときは
とても仲良くすごした、一人の友人と、山へいった話などで
情報交換することができた
山の良さは、お互いそれぞれ、20代以降に覚えた楽しさなのだけど
その良さを、お互いがもってるイメージを交換できたように思う


私が持ってる山のよさっていうのは、登ってみてわかったことも
もちろんいっぱいあるのだけど、やっぱり安曇野から眺める北アルプス
姿にみせられたことから、はじまってるといっていいかも
しれない
そして、それは休日はほとんど必ずいっしょに行動する、つれあいが
さきに気付いた、美しさであり、存在だ


山下大五郎は、二人で行った休日に、北アルプス展望美術館で、その絵を
みて、ぜひ、田植えの頃の安曇野をここからもう一度みてみようという
気持ちにさせてくれた。
そして、一昨年、田植えの時期に美術館の前のひろびろとした
丘陵になってる公園から、おそらく山下も描いたであろうアングルで
絵をかいたみた
そんなことを、したことで、山をみてるのがいいな、山の存在自体って
いいなということが、自分のなかに刻まれていった


画家が気づかせてくれた、自然の良さを自分のなかに持っていて
おそらく、画家とかとは関係ないけど、自然の良さをとりこむことができた
友達と、「山はいい」といって、笑顔になるのは、すごくうれしい
瞬間だった。
心が通うということ、こういうこともあるんだなと思った


季節が変わるということ
それは、美しい風景を吸い込む作業をしてる、画家にとっては
どんな気持ちがしてる、ときなのだろうか
例えるのは難しいかもしれない。山はやはり季節ごとにいろんな表情を
みせてくれるもの。その変化がよくわかるということだろうか


なごりの夏は、まだ暑い日があるでしょうが
今朝の空気は、もうすぐ夏は去る。少なくとも去る準備を
はじめたことを感じさせた