社員を指導する

ときどき、社員の指導をするという立場を
思うとき、うわ、なんてそんな難しいこと、まいったな
と思うことがたびたびあるのです


うわわわ、おまえはそのことを真剣にやるって
いったじゃないか、このブログでもしたり顔で
いっぱい書いてるじゃないか!


まったくそうです。でもね
実はわからない、悩むから書くんですね


ときどき、河合隼雄先生の「カウンセリングを語る」を
読み返して、ヒントをもらおうと思います
そこここに、いっぱいヒントがあって、どこから
やろうと迷うくらいです
例えば、下巻のp152あたりからは、父性ということを
カウンセリングでもちいることの、大切さをときます


対人援助という立場で思ったときに、カウンセリングの考え方は
とても参考になると思います。カウンセリングを受けてる側
先生と生徒であれば、生徒の側がどんな気持ちでいるのか
思い浮かべるヒントがあります


上から目線で説教などしても、なかなか伝わらないね
これは基本。しかしながら、理屈ぬきで悪いことは
悪いと伝えるのも、会社の先輩、いいえ生きていて、少しでも
長く生きてるものとしての、役割といっていいのではないか


そのあとのページを読み返すと、身体を使いなさいという指示が
のっています。たとえば、禅をやるまえに、部屋を掃除してみる
掃除したほうが、よっぽど、心のなかを整理できる。それと
同じように、カウンセリングなどと、いわないで、なにかいっしょに
やってみるほうがよっぽど、心が澄んでくる


だいたい、なにか指導されるような、いろんな悪いというか
まわりからみたら、足らないことをやってる人自身、けっこう
自分はなにが足らないかは、一応知ってはいるのですね
知っていても、実行できない。そのできない加減を
なやんでるのに、「おまえ、なんでやらないんだ」とこう来たら
やっぱり、むっとするのでしょうね


それでいて、↑の父性ではないですが、やっぱりすぱっとしかって
おくということも、大事は大事ですね
ひとつは、どなられたり、しかられたりということが、極端に
いま少ないでしょうということもあります
長期的にみたら、その人のためになるのだったら、容赦なくぴしゃりと
いっておく。そのときわからなくても、後でわかるでしょう


人の指導は、いろんな方法はあるのでしょうが
基本は、あなたのことを真剣に気にしてますよと伝えて
どうして、行くのがいいか考え続けるということ
ときには、しかり、ときには、手になにももたずに
話を聞いてみるということ


人間は神様が作ったんンだ
だから、同じ人間がそんな急にというか、すぱーっと変わるような
なにかすごいことは、なかなかできないかもしれない
でもやらなくていい、なんてことはない
さあ、話を聞いてみたい。さあ、ここへきてごらんよ